レッタとリッタ 7 そして日常へ
朝です。
日の光が森を柔らかく染め上げ、木々のざわめきも心なしか遠く感じます。
リッタが草のカーテンを開くと暖かく、穏やかな森の表情が家の中に差し込んできます。
初めて見る森の表情は、二人が森に来て初めて見た夢に似ていました。
「雲に住む人は」
リッタが無意識に言葉を漏らします。レッタも森の暖かさに目を細めながらゆっくりと揺れる木々の梢をぼんやりと見ていました。
「光が綺麗に見えるだろうね、影が愛しく思えるだろうね」
「僕達は」
「何かを選ぶという事が出来なかったよね」
リッタは光に照らされながら遠くを見つめていました。
しばらくしてレッタが口を開きました。
「程々がいい」
「程々がいいんだ」
二人は雲の民と同じです。
影と光、どちらも捨てる事が出来ず、怯えて暮らす雲の民と同じなのです。
光と影の中に住める事を雲の民は知っている。
ただ、光に入れば影が、影に入れば光が見えなくなるから、それが不安で動かずにいるだけなんだ。
リッタはそう思いました。
リッタの横顔をいつまでも眺めているわけにはいきません。
一日というのは早いものですから、新しい事を探しに行かなければミグラントの里に手紙を送る事が出来ません。
雨の日なら別ですが、今日は心地良く晴れていますからね。
レッタが手元の帽子を持ち上げると、日の光が地面を照らすだけで、中には誰もいませんでした。
森を歩きます。
森の中もやはり光に満ちていて、二人はどこを歩いているのか分からなくなりました。
木に体を擦りつけているカノの姿が見えましたので、リッタが声をかけました。
カノは一度二人の方を見ましたが、何も言わずに飛び立ってしまいました。
二人が空を見上げると、コルンが木と木の間を飛んでいる姿が見えました。
リッタは不安になってコルンを大声で呼びましたが、コルンは下を一度も見る事がありません。
二人は急いで森を走りました。草を掻き分けました。自分達の足音ですら、遠くの音に聞こえました。
あまり早く走るものですから、リッタは息が上がってしまいましたので、草の根元にしゃがむようにレッタが言いました。
レッタがリッタの背中を撫でてやります。
リッタが苦しそうにうずくまって息をしていると、心配そうに鼻をくっつけるアルがそこにいました。
リッタはようやく安心して片手でアルの頭を撫でてやりました。
アルも気持ち良さそうに目を閉じてリッタの手に擦り寄りました。
その様子を微笑みながら見ていたレッタは、数メートル先にミザがいる事に気が付きました。
ミザは二人に近付こうとはしません。
レッタがミザの元に行こうと足を一歩踏み出すと、
ミザは綺麗な声で一度、鳴きました。
アルはその声に反応し、可愛らしい声で鳴いた後、リッタの手をすり抜けてミザの元へ帰ってしまいました。
リッタとレッタは森にふたりぼっちになりました。
森がどんなに綺麗でも、暖かくても、二人はただ立っている事しか出来なくなりました。
二人は同時に目を覚ましました。
ちゃんと音が聞こえる元の森です。けれど二人は、しばらく起き上がる事が出来ませんでした。
怖い、怖い夢でした。
ママナの話の通りの森でしたが、リッタとレッタには何よりも怖い夢でした。
いつものようにミザが遊びに来ると、二人は安心して森に出られるようになりました。
「二人の家は夏や冬を越すのが大変そうだね」
ミザがそう言うと、レッタとリッタは顔を見合わせました。
「ミザこそ、夏とか大変そうだね」
そうレッタが言うと、ミザは何故か嬉しそうにこう言いました。
「僕達、季節によって寝床を変えているんだ。夏は氷の湖の傍に、冬は、この森で一番暖かい所で寝るんだ。だから、」
ミザの尻尾が不規則に揺れます。ミザはどうやって言おうか少し考えているようです。すると、リッタに抱えられていたアルがリッタを見上げて、
「二人も一緒に」
と言いましたが、ミザの長い尻尾で頭を叩かれてしまいました。
そしてミザはこう言います。
「もし、今の家が住みにくくなったら、気軽に遊びに来て欲しいんだ。二人の好きな時にさ」
レッタとリッタは笑いながら頷きました。
二人は季節が一巡する意味を考えていました。
ミグラントは春風に乗って森を渡る種族ですので、そう長くは滞在していられません。
特に、レッタとリッタは障害を持って生まれたと見なされておりませんので、他の星子の分まで世界の森を廻らなければなりません。
二人は今朝の夢を思い出しました。
普通の森で正しい姿で、よそよそしい里と変わりなくて、とても不安に思いました。
ミザやカノ、アルやコルンに会えなくなるのは嫌だと感じました。
今はまだ迷っていますが、しばらくして二人はきっとこう言うでしょう。
「皆で木の実を食べに行こうよ」
すぐには言いませんよ。少なくとも、季節が一巡するまで言いません。
それまでは、怯えながら、確かめながら生きていけるのですから。
おわり