レッタとリッタ 6レッタとリッタ
あれからまたレッタとリッタは家から出てこなくなりました。
ヒチイは息をするのもやっとな程衰弱していきました。
ミザやアルはとても心配し毎日二人に状況を聞きにいきましたが、リッタとレッタは思いのほか冷静に説明するのでした。
ヒチイは元々体が弱いという事は分かっていましたが、事情を知らないミザ達は湖に長く浸かっていたから病状が悪化したのだと思っていました。あの夜、リッタを湖に入れず、ヒチイを湖に入れたレッタをミザは少し不安に思いました。
もちろんレッタは悪意を持って行動するような人ではありませんし、ミザ達も気がつかず湖に入るヒチイを見ていたので、全ては不幸な事故だと分かりました。
けれど、この一件で、レッタがリッタ以外の人とは距離を置いている事が目に見えたような気がして、ミザは怖かったのです。
そんなミザの様子に気がついたリッタはレッタを庇うように前に出ました。
「レッタはヒチイの事凄く気にしていたんだよ。今だってしてる。ここ最近だって寝ずに看病していたんだ。それに、湖の事だって」
レッタはリッタの腕を掴んで止めました。けれど、リッタはミザ達にレッタの事を誤解して欲しくなくて、俯きながらこう言いました。
「僕も気付いていたんだ。ヒチイが湖に浸かったら具合が悪くなる事」
ミザはそんなリッタの様子を見て驚き、説明を求めるようにレッタを見ました。レッタは初め迷っていましたが、静かな声で話し始めました。
「僕達以外のミグラントが、時期はずれに森を訪れる事は悪い意味しか持たないんだ」
「ヒチイは初めからそのつもりで来たから、無理をしても楽しい思い出を作って欲しかった。だから湖に行ったんだよ」
リッタがレッタの言葉を繋ぐように言いました。ミザはずっとヒチイを背負っていましたから、その言葉の意味がすんなりと分かってしまいました。ヒチイのいつ咳き込むか分からない弱々しい声と、酷く軽い感触を思い出します。ミザは全てを知って、ヒチイを見守ってきたレッタとリッタの心を考えると、自分がとても嫌になりました。そんなミザを見てレッタが静かにこう言いました。
「何も知らない事が一番良い事だってあるんだ」
ミザはレッタの顔を見ます。レッタは少しだけ表情を和らげて続けました。
「僕達は、星子の事を何も知らないミザ達に凄く励まされたんだよ」
もちろん、今は星子の事を知ってもらいたいと思うけどね。二人はそうミザに伝えました。
リッタとレッタにはミザに伝えたい事が山ほどありましたが、今はヒチイがミザに伝えられない事を言葉にしようと思いました。
「ヒチイは気遣われる事が苦手だったんだ。何も知らないミザ達だから、あんなに楽しく遊べたし、大好きになったんだよ」
リッタはそう言いました。
結局のところ、ミザには花や木の実を届ける事しか出来ません。ミザは、毎日森の奥まで歩き、毎日違う木の実や花を探しに行こうと改めて思いました。
リッタとレッタは家の中に入り、苦しそうに息をするヒチイの手を握ってあげました。起きていても、眠っていても苦しいので、ヒチイは起きていたいと途切れ途切れに言いました。その度に、レッタとリッタは自分達が知っている話をヒチイに聞かせてあげました。
ヒチイは満足そうにその話を聞きましたが、ヒチイの具合が良くなることはありませんでした。
ある朝、レッタが湖の水を汲んで家に戻ると、ヒチイが静かに座って森を見ていました。
穏やかな朝の光に触れるヒチイの顔も、やはり穏やかなものでした。ヒチイを看ていたはずのリッタは家の中にいませんでした。その家の中の光景に、レッタは血の気が引くのを感じました。
「星ってきっとこうやって消えるんだね」
ヒチイの声は酷く穏やかで、もう咳も出なくなりました。
欠けて生まれてきた星子がもらう、最後の贈り物です。
ヒチイは今日一日を、レッタとリッタと、何も隠さずに話して過ごしたいと言いました。
表で空を見ていたリッタが家の中に入ってきました。リッタの目は、赤くなっていました。
「僕ね、生まれた時皆から‘半分だ’って言われたんだ。それが無かったら、半分だなんて気がつかなかったのになって少し思うよ」
ミグラントは、里で自分の話をしたがらない種族です。その理由を知ってもらうには少し説明しなければいけませんね。
リッタが言ったように、ミグラントの里では星の降る夜に湖から星子が生まれてきます。流星群の種類によって人数はまちまちですが、多くの命が生まれてくるのです。ですが、ここ数十年、体の弱い星子の他には何も誕生しなくなりました。里の大人達は、星の具合が良くないのではと囁きました。どこかが欠けて生まれてくる星子達の寿命は長いものではありません。流星が来る度に多くの命が生まれ、それが去ると静かにぱらぱらと灯火が消えていきます。
レッタとリッタは、大人達と一緒に数え切れないほどの星子が空に帰っていくのを見送りました。ヒチイとリッタ、レッタのふたご座というのは、昔ぱたりと星子が生まれなくなった流星群です。ふたご座が一番汚染されているのではないかと言われ、長い月日がたった頃、レッタとリッタはふたご座の星子として迎えられました。
レッタとリッタは、どこも欠ける事無く生まれてきましたので、二人は幸福な星子として見られました。その後、少したった後のふたご座の流星がやってきた夜、ヒチイが一人ぼっちで生まれてきました。奇跡が続いたと皆で言いました。
ヒチイは外から見るとレッタやリッタと同じに見えますが、他の星子と同じ様に欠けて生まれてきました。そっくり半分欠けて生まれてきたのです。レッタとリッタはそんなヒチイに負い目がありましたので、里では 意識してヒチイの目の届かない場所で過ごしていました。
「僕はずっと二人と話がしたかったんだ」
ヒチイが言います。欠けたヒチイは、欠けた星子達の中で育ちましたので、二人がミグラントの里でどれだけ居場所が無かったかを知っていました。ヒチイは体が欠けている分心が強かったものですから、二人の苦しみも想像する事が出来たのです。
レッタとリッタは人の苦しみだけに敏感で、人の好意には酷く感覚が鈍っています。
ミグラントの里から来た星子のヒチイに対してなら尚更です。レッタとリッタには、ヒチイの言葉を素直に受け取れない理由がまだ一つありました。
「僕達は君に思ってもらえるような星子じゃないよ」
レッタがそう呟きました。ヒチイは俯いたレッタの様子を目に焼き付けるように見つめました。
「僕達は存在自体が不快なのに、星子達に許されるはずもない嘘をついてきたんだ」
「生まれた時からずっと」
レッタとリッタは顔を上げてヒチイを見ました。自分達がついた嘘で一番嫌な思いをさせてしまっていたヒチイに謝る為です。二人はこの時だけ、距離を置きました。
「僕達はふたご座の星子じゃないんだ」
レッタが言います。少し間を置いてから、
「てんびん座なんだ。僕達は」
とリッタが言いました。
てんびん座の星子は他の星子と同じ様に多く生まれ、ミグラントの里では特に目立つ星座ではありませんでした。
ありふれた星座の元に、二人は欠ける事無く生まれてきてしまったのです。
村の大人が生まれたばかりのレッタとリッタを見て、他の星子と一緒にする事を良しとせず、レッタとリッタは離れた暗がりでひっそりと育てられました。
その頃はふたご座の星子がずっと生まれていない状態でしたので、大人達はレッタとリッタの存在をふたご座の奇跡にしたのです。特別なふたご座であれば、どんな奇跡でも納得しない星子はいませんでした。
しばらくしてからヒチイが一人ぼっちで生まれてきました。ヒチイは星子の中でも酷く欠けて生まれてきましたので、星子の中でも同情されてしまう存在になりました。二人は自分達が存在する為の嘘でヒチイの立場を悪いものにしてしまった事に負い目を感じていましたが、これ以上星子達の仲間から外れたくないと思ってしまい、嘘を通してしまったのです。二人はヒチイに深く頭を下げました。
「ヒチイはルタを見た事ある?」
リッタがヒチイにそう聞きました。ヒチイは里の記憶を思い出して、里の長が胸に抱いている赤ん坊の事だと分かりました。里の長が何年も、何年も抱いているのに大きくならないので、星子達は、生まれたての星子を把握する為に毎日違う星子を抱いているのだと噂をしていました。ヒチイが寝たきりになると、大人達は色々な話をしてくれましたので、ヒチイを始めとする病弱な星子達はルタという育たない赤ん坊の存在を知る事が出来ました。
「ルタはね、僕達と一緒に生まれてきたんだよ」
リッタはそう言いました。特別な星座を抜かして、星子は一人一人生まれてくるのですが、大勢のてんびん座の星子の中で、レッタとリッタ、それとルタは不思議な繋がりを持って生まれてきました。
他の星子が個々で生まれてくるのに対して、三人は、三人で一人の命として生まれてきたのかもしれません。レッタとリッタは他の星子と比べて確かに丈夫に生まれてきましたが、二人が共に元気でいられる事はありませんでした。
生命が、てんびんのように、ゆらゆら、ゆらゆらと揺れるものですから、少しでもそのてんびんを傾けないように日々を過ごしていました。傾けば、調節もしました。ですが、二人は自分達の事よりも、何も出来ないルタを気にかけていましたので、 自分達が不自由と感じる事はありませんでした。
ただ、星子達も、二人の事を表面でしか分からないので、二人を不自由だとは思いませんでした。
リッタが三人の仕組みを手短に話すと、ヒチイは手元を見てしばらく考え込みました。
二人の事を深く聞いた星子はヒチイが初めてでした。ヒチイは何も言わずひっそりと暮らしてきた二人の姿を悲しいと感じました。
「僕、なんとなく分かってたんだ。ふたご座の星子は僕しかいないって」
ヒチイが呟きました。
「だから二人が気にすることは無いよ」
星子は湖の中にいた記憶が体に染み込むと言われています。
ヒチイは、湖の中で息をしていた時、酷く寂しい気持ちになった事をうっすらと覚えていましたので、同じ星から生まれた星子はいないのだと思っていました。
ヒチイはふたご座のレッタとリッタではなく、異質に生まれてきたレッタとリッタに興味を持ちました。そして、あまり姿を見せない二人がどんな事を考えているのか、どんな顔で笑うのかずっと気になりました。
他の星子に囲まれて星に帰るより、二人が過ごした森で最後を迎えたいと思ったのです。森の中でのリッタとレッタは残念ながらあまり見られませんでしたが、森を通じて二人と共有出来る何かを見つけただけでヒチイは幸せでした。レッタとリッタの事をちゃんと里の星子達に分かって欲しいと思いましたが、それを伝えるにはヒチイの残された時間が少な過ぎます。何より、二人もそっとしておいて欲しそうだったので、二人の秘密は空に持っていく事にしました。
「僕ね、ミグラントの里は苦手だった。あの懐かしい土地と、ルタの事が無かったら、手紙も送らなかったと思う」
リッタが苦笑いをしながら言いました。
二人は、初めての森への不安と、親しんだ土地を離れなければならない不満を抱えながら、星子達から離れられた事を、心のどこかで安心していました。
風に乗ったミグラントが里に帰る事はありません。それに少しの嬉しさを感じていましたが、今になって少し残念に思えてきました。
「ヒチイと里で会話していたら、何かが違っていたんだろうなって思うよ」
そう言って目を細めるリッタにレッタも頷きました。
爽やかな木々のざわめきと、暖かく頬を撫でる風を感じながらヒチイはこんな事を言いました。
「おひつじ座の星子が失明した話を聞いてね、目の前が真っ暗になる事は怖い事だなって思った事があるんだ」
リッタとレッタは静かに話を聞いていました。
「だけど、空に帰ったらみんな同じ。暗闇の中で何も出来ない。どんなに欠けても欠けて無くてもみんな同じになる」
ヒチイは外から差し込む光を無心に眺めていました。
「そう思ったら、誰かを羨んで、嘆く自分が恥ずかしくなったんだ」
その言葉を聞いて、レッタとリッタは大きなものに触れたような気がしました。
人は明りを見る力しか与えられていません。明りの中にいるうちは、暗闇の安らぎを見ることも出来ないでしょう。その証拠に、リッタとレッタは暗闇が怖く感じます。ヒチイの言葉の意味を考えても、やはり欠けている人と、欠けていない人が平等だとは思えません。
けれど、ヒチイの言葉は二人の中に滞りなく染み込んでいきました。
ヒチイは気持ち良さそうに寝転んで、目を瞑りました。
「ミグラントの里で歌っていた曲が聴きたいな」
レッタとリッタは顔を見合わせた後、慣れ親しんだ曲を聴かせてあげました。
夕陽が沈む森の中に、リッタの笛の音と、レッタの歌声が溶けるように響き渡りました。
木々のざわめきと、風の音と、全てがヒチイの為に鳴いているようでした。
ヒチイは気持ち良さそうに目を閉じたまま、リッタとレッタにこう言いました。
「ここの森の木の実は美味しかったよ。里の皆も、きっとその話を聞きたがってる」
二人に会えてよかった、ありがとう。
最後まで二人の事を思っていたヒチイは、そう呟くと、夜の空へと帰っていきました。