レッタとリッタ  4流星を見に行こう①

 

 

朝です。

今日は晴れているので木々の間から光が差し込み、いくつも重なって見えます。

空気中の水達が笑い合うように舞って、森中がきらきらと輝いているようでした。風もすがすがしく、気持ちのいい朝なのです。

 

「おはよう、ミザ、それにアルも」

 

ミザがレッタとリッタの家を見に行くと、二人は朝の準備に取り掛かっていました。水を入れた大きな木の実の殻を持ちながら出てくるリッタの肩には、珍しく起きているアルマジロがぶら下がっています。挨拶をしたレッタの肩にも同じアルマジロがぶら下がっていました。

 

「おはよう、レッタ、リッタ。君達はいつもこんなに早く起きるのかい?」

 

そうミザが聞くとリッタは笑いながらミザに言いました。

 

「君達だってこんなに早いじゃないか。それで驚くのは可笑しい事だよ」

「寝てない」

 

アルが小さな声で言いました。リッタは信じられない言葉を聞いた耳を疑い、ミザの前足に隠れ気味のアルをじっと見つめました。確かにアルの目は今にも閉じそうで、時々頭が地面にぶつかりそうになっています。ミザを見てみると、アル程ではありませんが、いつも元気な耳が力なく臥せっています。目も少し眠たそうです。リッタが心配そうな目で見るので、ミザは苦笑いをしながらこう言いました。

 

「今日は夜が特別の日なんだ。僕達はカノやコルンと逆で夜行性だから寝てしまう心配はないんだけど、楽しみ過ぎて逆に眠れなかったんだ。僕もアルも」

 

リッタは驚き過ぎて手に持っていた水を落としてしまいました。レッタが横目で確認すると、木の実の殻は中々深いので、水はまだ半分残っているようでした。リッタは零れた水を気にせずにミザのところまで行きます。

 

「体に悪いよ、少しでも寝ないと」

 

そう言うリッタにミザは少し疲れた笑顔を向けました。

 

「うん、これから寝るんだ。だけど夜に起きたら二人と会えないなって思って先に誘いに来たんだよ」

 

アルもミザの下で懸命に頷きます。顔を洗い終わったレッタがリッタの隣に来ました。

 

「何に誘ってくれるんだい?」

 

するとミザは言葉を選ぶようにそっぽを向いた後、広場でのんびり夜まで過ごさないかと提案しました。どうやらミザは今日の夜を二人に見てもらいたいようです。レッタとリッタは仕度を終えるまでアルマジロをミザとアルに渡しました。

 

「その子達は君達のように言葉を話すと思う?」

 

リッタがそう聞くとミザはどうだろうと考え始めました。この森は広過ぎるのでミザが知らない生き物も沢山いるようです。先日会ったラカイユなんかも良い例ですね。小さな二匹のアルマジロはミザとアルにとっても不思議な生き物でした。アルが小さな言葉で懸命に話し掛けても返事はありません。

 

「アルみたいに無口なのか話せないのか分からないや」

 

ミザがそう言うとリッタはしゃがんでアルマジロを見ました。

 

「僕達ね、この子達が自分で名前を言えるようになるまで愛称で呼ぶ事にしたんだ。この子達双子みたいだから、ミザの所にいる子がルカで、アルの所にいる子をルクって呼んでるんだ今」

 

ミザとアルはそれを聞いてアルマジロの名前を呼んでみましたが、ルカとルクは地面にころころと転がるだけです。アルは飽きてしまったようで、丸まったルクを手で転がし始めてしまいました。

 

「ごめん、待たせてしまったね」

 

レッタの仕度が終わったようです。レッタがリッタの頭に帽子を乗せながら帽子を被ると、ルカとルクは器用に二人の体に登り、帽子の中に入ってしまいました。

 

「人見知りが激しいんだねその子達」

 

ミザがレッタとリッタの帽子を交互に見て言いました。レッタとリッタは笑って、ルカとルクは寒がりで、その上眠る事が好きなのだと教えました。

リッタがいつものようにアルを抱きかかえて前を歩き出します。無口でめったに声を出さなかったアルは、ほんの少しですが、小さな声で会話が出来るようになりました。ミザはリッタにアルを任せ、後ろで見守るレッタの横に行きました。

 

「君が夜中、一人で湖に行くのは朝の水を汲んでくる為だったんだね」

 

ミザが少しだけ小さな声で言いました。湖を作って以来、レッタは毎晩そこに足を運んでいます。ミザとアルは夜行性なので、夜の森を散歩する習慣があるものですから、レッタが湖に行く姿を何度も見ていたのです。レッタはスズランの形をした花に入れた蛍石の光を頼りに歩くものですから、暗闇の中のミザとアルに気付く事はありませんでした。

 

「僕はてっきりリッタに内緒で何かしているのかと思った」

 

レッタはミザの言葉にくすりと笑って、こう言いました。

 

「リッタは夜の湖に行きたがらないんだ。僕はミザも近付かない方がいいと思うな」

 

ミザはレッタの言葉に首を傾げました。

 

「夜の湖にはね、幽霊が出るんだ。素直な子が大好きな幽霊が」

「幽霊・・・」

 

聞き慣れない言葉をミザは繰り返します。レッタはリッタの方を向いて、ミザにこう言いました。

 

「リッタは連れて行かれそうになったから、もう行きたがらないんだ」

 

そう言えば、とミザは夜の事を思い出していました。レッタが湖に向かっている姿を見てから大きな木の実の広場に向かって歩いて行くと、決まって空に一筋の光が糸のように上っていくのが見えるのです。不思議な現象だと見ていましたが、水の入った湖と過ごすのは初めてなのであまり気に止めませんでした。それが今、幽霊の仕業だったのだとミザの中で明らかになりました。

 

「レッタは平気なの?」

 

ミザは心配そうに聞きました。しかし、レッタは自信があるようにこう答えました。

 

「僕は平気。だけどミザとアルはきっと連れて行かれてしまうよ」

 

コルンがカノ達を臆病者だと言ったのは、湖を作ると幽霊が住み着く事を言っていたんだ。

素直なミザはレッタの言葉を聞いて、夜の散歩の道をもう少し考えようと思いました。レッタにはミザの表情を見ただけで考えている事が分かりましたので、その素直さは大切にしてあげないとと思いました。

 

「今日は本当に空が高いんだね。広場の真ん中で寝そべるのが気持ちよくてたまらないよ」

 

そういいながらリッタは大きく伸びをしました。皆さんもご存知の通り、この森で空を見渡せる場所はそう多くありません。それに加えて、広場は木々達が大きな円を書いて生えている為、日に透けた葉っぱ達に空を丸く縁取られているようで、いっそう清々しく見えるのです。レッタも腰をかけ、眩い空を見上げました。

 

「木々が光を和らげてくれるからこんなに空が見えるんだね。僕達がいたミグラントの里は180度全て空に包まれていたけど、こんなに空を見る事が出来たのは初めてだ」

 

ミザはその言葉に満足そうに頷き、レッタの横に丸くなりました。空は遠くて、木々はざわめき、風がとても気持ち良く吹いています。目を閉じて風の声に耳を傾けていると、リッタの隣で丸くなっているアルから小さな寝息が聞こえてきました。本当に気持ちの良い日です。暖かい日の光とアルの寝息を聞いて、ミザは当然の事ながら、リッタも、レッタも波に揺られるように眠りの世界へ誘われ始めました。

丁度その時、まぶたにあたっていた光が急に遮られました。驚いて目を開けると、円を描きながらゆっくりと降りてくる姿が見えました。

 

「今から流星に備えているのか?」

 

コルンです。大きく羽ばたきながらミザの丸まった背中にゆっくりと止まりました。ミザはその反動で体制が崩れましたので、優雅に羽根を閉じるコルンに向かって疲れた声を上げました。

 

「止めてくれよコルン。君の鋭い爪といったら3日は痕が消えないんだ」

 

ミザはこう言いながら内心諦めていました。コルンがミザの背中に止まる事は今に始まった事ではないからです。コルンはミザの顔を覗いてこう言いました。

 

「そう言われると思ってね。お前を参考に、木で爪の先を丸くしてきたんだ。痛くないだろう?」

 

ミザは諦めて寝る体制に入ってしまいました。レッタは信じられないという顔でコルンの爪を見ます。コルンの爪は、確かに丸くなっていました。

 

「不自由しませんか?」

 

レッタは恐る恐るコルンに聞きます。鳥はその鋭い爪で獲物を捕らえるとママナから聞いていましたので、爪を研いでしまえば飢えてしまうのではないかと考えたのです。コルンは自分以外の鳥がどのようにして餌を取っているか知っていましたので、レッタの心持を察する事は難しくありませんでした。ですから、レッタの質問に

「このくちばしがあれば、大抵の木の実は割る事が出来る」

とだけ答えたのです。

 

コルンは、他の鳥と比べて随分特殊な思考をしていました。なので、他の鳥と快く会話している所なんて見た事がありません。

 

「やつらは外の世界を知りながら、この森では殺生を好まないように過ごしている。やつらが湖を作りたがらなかったのは魚が怖かったからさ。魚を見れば、木の実なんて土くれだと聞くしな。俺はその小狡さが気に食わないんだ」

 

そうコルンは言いました。

考えて見ると、この森の動物は、決して生き物を口にする事がありませんでした。この森の湖は凍っていたので魚もいません。ミザとアルは魚の存在を知らず、草や木の実だけで生活する事が当たり前になっているのです。頭の上で眠っているルカとルクも、湖の水と木の実にしか興味を示しません。この森自体がそうさせるのかもしれません。しかし、カノのような空高く飛べる鳥は森の外で味を覚えてしまうので、この森の枠に留まっていられなくなるのかもしれません。

 

コルンは湖を作りたがっていて、けれど森より高く飛べないとラカイユが話していましたが、コルンが高く飛べない原因は木の実しか口にしない所にあるのではないかとレッタは思いました。そしてコルン自身、その事に気がついているように見えました。

 

「コルンは魚がもしいたら食べたいと思う?」

 

リッタがコルンに聞きました。コルンは首を横に一回だけ振って

「血なんか口にしたくないね」

と答えました。

 

ミザはコルンの言葉で魚が生きているものだと推測し、リッタは随分と恐ろしい事を聞くんだなと驚きを隠せませんでした。

この森がこんなに生命で溢れているのは、昔争いがあったからかもしれません。レッタ達が光として利用している蛍石は森で取れないものです。大切に保存していた跡をレッタとリッタは見つけました。カノが連れて行ってくれた高台もそうですが、この森にはレッタ達と同じ形をした手先の器用な種族がいたのかもしれません。それはラカイユが知っていたかもしれませんが、ラカイユは北に旅立ってしまいましたので推測するしか出来ませんでした。鳥は空を飛べるので、他の土地で囁かれている歴史を知る事が出来るかもしれません。けれどコルンは、この森に従いながら高く飛ぶ事を選びましたので、これから先も苦労する事でしょう。レッタはそんなコルンの姿がとても痛々しく、素晴らしいものに見えました。

 

「そういえばこの森は流星見えるんだね」

 

リッタがコルンに聞きました。ミザの言っていた特別な夜は流星が見える夜の事だったのです。ミザは少し眠たかったので、コルンが流星と言った事にあまり気を止めなかったのですが、リッタには新鮮に聞こえましたので、驚かせる事は出来なくなりました。ミザはリッタが流星を知っているとは思わなかったので、少しだけ残念な心持でリッタにこう聞きました。

 

「リッタは流星の事知ってるんだ」

リッタはミザに笑顔で「もちろんレッタもね」と言いました。

 

「だけど僕達の所とは見える時期が違うみたいだね。今日は何座の流星群が来るんだい?」

 

レッタがミザに聞くと、ミザは何を言われたか分からないというような顔をしました。その様子を見てコルンが口を挟みました。

 

「この森の連中にとって星は木の実みたいなものさ。一つ二つ無くなったって気にならないが、全て無くなったら困る。その程度の認識なんだ。星を何かに見立てるなんて事誰も思いつかない」

 

ミザはコルンが知っている事に驚きましたが、それ以上に好奇心が疼いて尻尾がゆらゆら揺れました。ミザはリッタの方に顔を向け、気がついてくれるまで見続ける事にしました。

 

「星座っていうんだけどね、星と星を繋いで一つの絵にするんだ。その絵の一つ一つがやまねこ座とかわし座とか名前が付いているんだよ」

 

ミザの目がますます輝きます。星が絵になるなんて考えた事も無かったからです。

 

「レッタとリッタは空に絵が描けるんだね。凄い」

 

するとレッタは首を横に振ってこう言いました。

 

「僕達は描かれた絵を見つけるだけさ。ミザにもすぐ出来るよ」

 

そして今夜それを教える約束をしました。コルンは星座を知っていますが、夜は目が利かないものですので、はっきりとした形を教える事は出来ません。ミザの相手をレッタとリッタに任せて、星の輝きを目に焼き付けようとコルンは思いました。星が流れる夜は、コルンにとって星を楽しむ事の出来る唯一の夜なのです。

 

「確かではないが、今日はてんびん座の流星が来るようだぞ」

 

コルンはお礼にそう呟きました。ミザもコルンも空を見ていましたので、リッタとレッタの体が少しだけ震えた事には気が付きませんでした。

 

「てんびんってどんな形しているの?」

 

ミザがコルンに聞きます。コルンは両羽根を広げ、こう言いました。

 

「右と左に受け皿がある。どちらかに何かを入れると、その重みで傾くんだ」

 

コルンは右羽根を上げ、左羽根を下ろし、ミザに分かりやすく説明しました。ミザは用途が分からないという顔をしていましたので、コルンは羽根を畳みこう付け足しました。

 

「二つの物、どちらが重いか図る道具だ。恐らく苔の蔵にもある」

 

苔の蔵とは、この森の動物達があまり近寄りたがらない古びた大きな蔵の事でした。石で出来ていて苔だらけなのでコルンは苔の蔵と呼んでいます。この蔵はコルンやミザが生まれる前からあった物なので、高台と同じく誰が作ったのか知られていません。蔵の中にある物もまた古びた物ばかりですが、カノを初めとする鳥達が外から持ち込んだ物も混ざっています。ミザは毛に苔がこびり付くとどれだけ苦労するかを知っていますので、カノやコルンに話を聞くだけにしていました。

 

リッタは何か思い浮かんだようで、アルとミザを基準にレッタをアルの直線状に連れて行きました。そして自分の帽子とレッタの帽子を更にアルとミザの直線状に置いてリッタはレッタの横、ミザの直線状に立ちました。

 

「簡単に言うと、星の天秤はこんな形をしているんだ」

 

ミザはコルンを背中に乗せたまま立ち上がって見ました。

 

「こんなに簡単なのかい?」

 

ミザは数ある星の中で、その形を見つけて共有したレッタ達の種族に驚きの声を上げました。

レッタとリッタは生まれた時から星座とはそういうものだと教えられてきたので、ミザの反応がなんだか新鮮で少し可笑しくなりました。

 

 

 

レッタとリッタ  3 湖はいずこ②

 

「やぁ、アル。また湖の話を聞きに来たのかい?」

 

そう言う虫を凝視してミザはこう呟きました。

 

「この花、アルが一昨年の夏に見つけて、凄く気に入っていた花に似てる」

「ラカイユはその花」

 

アルがミザを見上げてそう言いました。

 

一昨年の夏、氷の湖まで涼みに来ていたミザとアルは、氷に根をはった珍しい花を見つけました。アルはそれをいたく気に入り、夏の終わりまで毎日見に来ていました。秋になり、花がしおれて来ると、アルは悲しく思いましたが、その花の一生を見届けようと氷の湖に通いました。

最後の花びらが氷の上に落ちた時、茎が揺れ始め、根の先に丸まっていた何かが地上に出てきました。それがラカイユです。

ラカイユは暑さに弱い為、夏に湖の底で眠ります。そして花が枯れる頃、目を覚まして地上に上がるのです。

ラカイユは花と虫の子供でした。

 

「一昨年の夏はいつもより暑かったからね。深くまで潜りきる前に眠ってしまったんだよ。それでも安全に眠れたのは、毎日来てくれたアルのおかげだね」

 

アルは恥ずかしそうに氷を見ました。ラカイユは余り森の中には住まないのですが、一昨年以来、アルが遊びに来ると湖の底から顔を出すようになりました。ミザはアルとラカイユを同時に見て、意外な繋がりに驚くばかりでした。

 

「君を知っているのはアルだけしかいなかったの?」

 

ミザがラカイユに言います。ラカイユは背中の花を振りながら

 

「コルンという鳥もたまに来るな」

 

と言いました。

コルンという鳥は、朝早く空を飛んでいるので、ラカイユが目を覚まして外に顔を出す時間と丁度タイミングが合うようです。

ラカイユはそのまま話を続けました。

 

「アルは私の話に興味があるけれど、コルンは湖の方に興味があるみたいでな。でも可哀相だがあいつには湖を作るなんて出来ないんだ」

「湖を作る?」

 

ミザが聞いたことの無い事を話すラカイユにおうむ返しをしました。

 

「そう。湖を作ってくれる人がいるなら私は北の方に旅をしに行けるのに、この森の鳥どもは湖を作ろうとしない。動物達は作りたくても作れない。私は絶望して70年程湖の底でひっそりと暮らしていたんだ」

 

ラカイユはだいぶ長生きをする生き物のようです。

ミザは湖が作れるものだと知らなかったので驚いてばかりいましたが、ラカイユの話を聞いて一つ疑問に思いました。

 

「鳥が湖を作れるならコルンだって作れるじゃない」

 

しかしラカイユは花を横に振りました。

 

「あいつは森の木より上には飛べないではないか」

 

ラカイユの言葉に、ミザは黙って俯きました。しばらくして、リッタがラカイユに話し掛けました。

 

「湖ってどうやって作るんですか?」

 

するとラカイユは湖の底に潜り、手の平程の石を皆の前に置きました。

 

「これは何?」

 

ミザが聞きます。ラカイユはころりと転がしてからこう言いました。

 

「星のかけらだ」

 

その言葉に驚き、皆石を覗き込みました。覗き込みましたが、表を見ても、裏を見ても、ただの石にしか見えません。夜空できらきらと輝いているあの星のかけらだとは思えませんでした。

 

「あんなに綺麗で小さい星からこんな大きなただの石が欠けるはずないよ」

 

ミザが言います。

ラカイユが石を持ち上げ、湖に叩きつけると、石は真中から光を放ちました。

 

「確かにこれは星のかけらなのだ。この氷の湖も元は大きな星のかけらから作られた。しかし湖のかけらは黒ずんでしまい、綺麗な部分を切り離してそのまま凍ってしまったんだ。私はその場にいたから鮮明に覚えている」

 

レッタとリッタはその石の輝きに懐かしさを感じました。星の輝きとたゆたう水面に向かって、小さな泡達が岩の陰から出て行くのです。リッタとレッタは手を繋ぎながらその泡達を見送る夢を何度も何度も見ました。その夢を彷彿させるこの石は、間違いなく星のかけらなのでしょう。そして、ラカイユもまた、昔から生きている人に他ならない事をレッタとリッタは分かったのでした。

 

「この星のかけらに4滴、湖の水をたらすんだ。それで湖は作れる」

 

実に簡単そうに聞こえますね。けれど、この森に水のある湖はありません。氷の湖は決して溶ける事がありませんので、湖の水を調達するにはこの森を出て行かなければならないのです。

 

「確かに、コルンには出来ない話だね」

 

ミザは言いました。アルも悲しそうに俯きます。けれどラカイユはコルンの事よりも湖の事を考えていました。

ラカイユはこの森に雨が降らなくなる事をずっと昔から分かっていました。といっても、雨が降らなくなるのはもう少し先のお話ですが。

雨が降らなくなったその時にこの森は死滅してしまうかもしれない。そう思い、鳥達に一刻も早く湖を作らせようとしたのです。しかし、他の湖を知っている鳥達は、この森に湖を作る気は無いとラカイユの誘いを断ってしまいました。

 

「私は北の方へ旅立ちたいのだ。しかし、この森に湖を作るまでここを離れる事は出来ない」

 

アルが心配そうにラカイユを覗き込みました。ミザは不思議そうにその光景を見ていました。

 

「カノにはまだ話してないんだよね、その話。だったらカノに」

「無駄だ」

 

ミザが話している途中でカノよりも鋭く細い鷲がミザの上にどっしりと降りてきました。

ミザはその反動で氷の湖にへばりつく形になります。春とはいえ、氷の上は冷たいものです。ミザはしばらく立ち上がろうともがいていましたが、何分大きな鷲ですので、とうとう諦めてしまいました。ミザは見下ろしている鷲の顔を必死に見上げてこう言いました。

 

「なんで無駄なのさ」

 

鷲はミザの目を覗き込むように身をかがめ、強い口調でこう言いました。

 

「鳥は皆臆病だからだよ」

 

ラカイユはその言葉に深く頷き、カノに話したけれどやんわりと断られた事をミザに話しました。

 

「俺が必死になってるのを遠目でバカにするんだやつらは。空を高く飛べる鳥ってのは高慢で臆病で薄情で森の為になんかなりはしないんだ」

 

どうやら、ミザの上に乗っているこの鷲がコルンのようです。アルがミザの元に駆け寄って、そのままコルンに飛びつきました。コルンはアルの頭をくちばしの表面で撫でてあげました。

レッタとリッタはその間中ずっと星のかけらを見つめていました。そしてラカイユに向かってこう言いました。

 

「僕達は今、湖が無いと生きていけません」

「勝手な事だとは思いますが、星のかけらを少し貸していただけないでしょうか」

 

その言葉を聞いて、二人が何故懸命に湖を探していたかがミザにも分かりました。二人は質問ばかりで自分達の事はあまり話さなかった事にも気付いてしまいました。ミザは少し寂しく思いましたが、それでもレッタとリッタが好きなので、それを言葉にしませんでした。

ラカイユはレッタとリッタに親しみ深い匂いを感じ、星のかけらを渡す事にしました。

 

レッタとリッタはミザが案内してくれた大きな窪みを湖にしたいと皆に話しました。そこは何も無い場所ですので、反対をする人は誰も居ません。それよりも、二人がどうやって湖を作るつもりか気になって仕方がありませんでした。

レッタとリッタは夕陽が丁度沈んだ頃に湖を作ると言いました。その間、準備をするという事でレッタとリッタは皆に少し待っていてもらえないか頼んでみました。

レッタとリッタは星のかけらを持ち、窪みに行きました。どうしても先に木の実のかけらと帽子を取りに行きたかったのです。帽子は木の実のかけらのおかげで風に飛ばされる事はありませんでした。二人はほっとして帽子の元にかけよりました。

 

「ミザの木の実のおかげだね」

 

そう言って帽子を取ると、帽子の下に可愛く丸まった動物が二匹、眠たそうな顔を二人に向けました。小さな小さなアルマジロです。アルマジロは短い手足をばたばたさせ、帽子がどこにあるか確かめようとしていました。よほど二人の帽子が気に入ってたようです。その様子を見てリッタとレッタはどうしたものかと顔を見合わせました。

 

「帽子は上げられないからせめて暖かい葉の上に置いてきてあげよう」

 

そう言って手で持っていた帽子を頭に乗せ、二人はそれぞれ一匹ずつ優しく抱き上げました。すると、二匹はそれで目が覚めたようで、それぞれ腕を伝って肩まで上り、そのまま頭に乗っている帽子の中へ入り込んでしまいました。その動きがあまりにも同じなのでリッタとレッタは思わず笑ってしまいました。

 

「この子達は双子なのかな」

「双子かも知れない」

 

このアルマジロが言葉を話すのかも気になりましたが、二匹のおかげで強い風にも帽子は飛ばされなくなりましたので、二人は特に気にする様子も無く二匹の気が済むまで眠らせてやる事にしました。

それから二人はミザからもらった木の実のかけらを森の切れ目、窪みの始まりの所に間隔を空けて埋めました。二人はこの場所がこの森での居場所になると薄々感じていましたので、嬉しさを埋めておこうと思ったのです。

 

「僕達がここにいて、どうしてルタがここにいないんだろう」

 

窪みの真中で、星のかけらを覗き込みながらリッタは言いました。

リッタの悲しい声はレッタの心の内でもありました。いつもなら励まして微笑むレッタも、星のかけらを見る事しか出来ませんでした。

二人は今日がとても幸せな日だと感じていました。不安だった森は、友達が出来たことで綺麗に見えました。風に揺れる木の葉のざわめきと、ミザ達の声がとても心地良く、これからも、しばらくの間この幸せが続くと思うと、やはり嬉しく感じました。けれど、二人が幸せに感じるほど、心が痛んで、申し訳なくなるのです。

 

レッタは星のかけらに映った自分の顔が水滴によって歪む瞬間を見ました。リッタの涙が星のかけらに落ちたのです。リッタは星のかけらが涙をはじく、とても綺麗な音を聞いて、自分が泣いている事に初めて気がつきました。 リッタは涙を星のかけらに零さないよう、顔をあげましたが、リッタの方を向こうとしたレッタの目にも多くの涙が溜まっていましたので、レッタの涙も綺麗な音を立てて、ひとつ、ふたつと弾けていきました。

 

そして急に星のかけらが光りましたので、二人は離れないよう手を繋ぎました。冷たい、水の感覚が二人に染み込んでいきます。音も立てずに、ゆっくりと辺りが水になっていくのです。

光が止み、二人が目を開けると、空は一面星空で、レッタとリッタは湖の中にいました。星のかけらは、見渡しても見つかりませんでした。

 

「湖が出来てる!」

 

光に駆けつけたミザが驚きの声をあげました。ラカイユを背負ったアルも、夜目が利かない為あらかじめ森の終わりの木にとまっていたコルンも目を見張りました。

レッタとリッタはミザの声を聞くと、皆の下へ泳いでいきました。濡れた服の端を絞りながらこう言いました。

 

「ごめんね、作る時間調節出来なかった」

 

申し訳無さそうにするリッタとレッタにミザは力強く首を横に振りました。

 

「それは大丈夫。だけど教えて。どうやって湖の水を手に入れたの?」

 

ミザは二人が簡単に湖を作ってしまった事に興奮し、無邪気に質問をするばかりでした。その様子を見たリッタが笑って、

 

「本当はミザにも出来たんだ」

 

と言いました。ミザはますます分からなくなり、もどかしそうに尻尾を振りました。

次にレッタはこう言いました。

 

「湖と涙は同じ成分なんだよ」

 

リッタとレッタは誰の涙でも湖が生まれると言いましたが、リッタとレッタの涙が特別な物である事は、コルンとラカイユがよく分かっていました。

 

その夜、リッタとレッタは湖に残り、星の光と湖のたゆたう姿をずっと見つめていました。

そしてラカイユは安心して北へ旅立ったのです。

 

 

レッタとリッタ  3 湖はいずこ①

 

大きな大きな森の中を4人はとことこ歩いていきます。

リッタは初めての事だらけで嬉しそうに大きな猫の横を歩いていました。大きな猫の名前はミザ、小さな猫の名前はアルといいました。

 

「君は猫じゃないの?」

 

リッタがミザに話し掛けます。

 

「僕達は猫だよ。不思議な事を聞くね」

 

 ミザは物珍しそうにリッタを見ました。

 

「僕達、猫はにゃーと鳴くって話を聞いてたんだ」

 

 リッタは少しだけ恥ずかしそうに言います。ミザは鳥にも同じ事を聞かれましたので、リッタも外から来たのだと思いました

 

「鳴くには鳴くよ。だけど特別な時にしか鳴かない」

 

ミザはそう言うと、顔を上に向けて森に響くように鳴いてみせました。

リッタは大喜びです。レッタも初めて聞く鳴き声を気持ち良さそうに目を閉じました。

 

「凄い、凄い!とても綺麗な声で鳴くんだね」

「よしてよ、恥ずかしいじゃないか。僕はこうして話せるんだ。鳴き声なんてもう必要じゃないんだよ」

 

ミザが困ったようにリッタに言いました。するとレッタが横から覗き込んでこう言いました。

 

「必要だよ。この世界には綺麗な鳴き声が必要だ。僕はこの声が無くなったら酷く落ち込んでしまうよ」

 

ミザは恥ずかしそうに俯きました。

リッタは抱えているアルを見ました。アルもリッタを見上げます。

 

「この子は話す事も鳴く事も出来ないの?」

「ああ、アルは無口なんだ。無口なだけで、話す事も鳴く事も出来るよ」

「そうなんだ」

 

これから聞けるといいな、とリッタはアルを抱えなおして言いました。

 

「着いた。ここだよ」

 

小さな広場がそこにはあります。広場には大きなボールのような物がちらほら転がっていました。中には硬い殻が砕けて白い中身が見えているものもあります。

リッタとレッタが上を向くと、ずっと背の高い木の梢にしっかりとボールがついていました。これがミザの言う木の実です。

 

「あんまり大きいんで驚いたでしょ」

 

ミザが得意げに言います。リッタは目をキラキラと輝かせました。

 

「うん、驚いた。これって自然に落ちてくるものなの?」

「ううん。あの木の実を見てごらん」

 

ミザは落ちている中の一つの木の実を鼻で指しました。

 

「あの木の実には枝が一緒についてきているでしょ。空を飛べる人達が、あんまり殻が硬いから枝の方を折って地面に落とすんだ。あの高い方からね。すると、木の実が落ちてくる。上から下に落ちるから、その途中の枝や木の実にもぶつかる。ぶつかると細い枝は折れるから、一つの木の実で三つほど地面に落ちるのさ。地面に落ちたら殻が割れるから、おいしい木の実の中身が食べられるんだ。僕達はそのおこぼれをもらうんだけどね」

 

そう言うとミザは辺りを見回して、その中で一番美味しそうな木の実をかぎ分けました。

 

「おいで、リッタ、レッタ。この木の実は特別美味しいんだ」

 

ミザは鋭い爪で木の実を器用に切り分けて、リッタとレッタにひとかけらずつ渡しました。

二人は顔を見合わせて微笑みました。

 

「嬉しいな、幸せだな、ありがとうミザ」

「大切にするよ。ありがとう」

 

そう言って二人は嬉しそうに木の実を色んな角度から見ました。

リッタとレッタは、ミザからものをもらえただけで満足なのです。ですがミザは分からないという顔つきでリッタとレッタを見ました。

 

「ここで食べて大丈夫だよ。夜も食べたいんだったらその分も切ってあげるからさ」

 

ミザがそう言いますが、二人は笑って首を横に振りました。

 

「僕達はこれでじゅうぶんなんだ」

 

レッタとリッタがミグラントということは冒頭にお話しましたね。ミグラントは風に乗る種族ですから、食べ物を一切口にしないのです。ですが、案内してくれたミザの期待を裏切りたくない二人は、その事を口に出しませんでした。

リッタがミザから木の実を受け取る時、リッタに抱えられていたアルはどうなったかというと、ミザにくわえられて木の実の上に置かれていました。アルはミザが切り分けた木の実を可愛らしくはぐはぐと食べていました。

 

「ねえミザ。この森全体を見渡せるところはある?」

 

リッタがミザに聞きます。ミザがちらりと空を見て言いました。

 

「空から見下ろせるやつなら知っているけど、その話を聞くだけでは事足りないかい?」

「出来たらその場所に行きたいな」

 

リッタが少し困った顔をしてそう言ったので、レッタはミザに意味が伝わるよう、言葉をこう付け加えました。

 

「僕達は、自分の目でこの森を見てみたいんだ」

 

リッタも頷きます。ミザは少し考えてからこう言いました。

 

「正直、僕もこの森全体を見渡した事無いんだ。ある程度分かる丘は知っているんだけど」

 

レッタとリッタは顔を見合わせてこくりと頷き、ミザにその丘まで連れて行ってもらう事にしました。

 

「あそこに行けばよく見えるよ。だけど上まで行くと風にさらわれちゃうから、少し覗くだけがいいと思う」

 

着いたところは丘というより崖に近い場所でした。歩いて来るには不自由の無い緩やかな山道でしたが、頂上についてみてその先を覗いて見ると、道が無いどころか、遥か先の木々まで見渡せる所だったのです。リッタが驚いてこう言いました。

 

「終わりの方に少し下った気がしたからもっと低いのかと思った」

 

するとミザが後ろを向いて言いました。

 

「今まで下ってきたのはここがくぼんでいるからだよ。昔ここには何かが落ちてきたんだって」

 

 レッタとリッタも後ろを向きます。くぼんでいるところには木も草も生えていません。森の中では大変珍しい光景でしたが、見慣れているミザにとっては些細な事でしかありませんでした。ミザは先に進み、二人の背中に話し掛けます。

 

「下を覗く時は二人とも帽子を脱いだ方がいいよ。それに二人は凄く軽いから、しっかり僕につかまってね」

 

二人はミザの方へ駆け寄り、風をさえぎっている岩の壁の下に木の実のかけらと帽子を置き、アルをその上に寝かせました。

それから、はしごのように岩の先につかまったミザの背中によじ登り、肩につかまり、そっと顔をあげました。

 

「わっ」

「リッタ!」

 

急な風に吹かれ、リッタが飛ばされてしまいました。レッタがすぐに助けようとミザから手を離しましたが、ミザはあごと肩の間にレッタを挟み込み、尻尾でリッタを受け止めました。

 

「僕もたまに飛ばされそうになるからね。ゆっくり、ゆっくり見よう」

 

リッタはまたミザの背中を登り、今度はゆっくり顔を上げる事にしました。

 

「うわあ」

 

風に合わせて葉っぱが舞う光景を見て、リッタが嬉しそうに言葉をもらしました。

葉っぱと混じって薄い桃色の花びらもチラチラと綺麗に舞っています。これはみなさんご存知の通り、桜の花びらですね。この森は今、春なのです。けれどレッタとリッタは木になる花を見た事がありませんので、その花びらがどこからきているのか分かりません。西の方に木が生えていない所がありました。ぽつぽつと、地面が見えるところがありました。

けれどそれよりも気になる事が二人にはありました。

 

「この森には水が見当たらないね」

 

 リッタがそう呟きました。するとミザが不思議そうな顔をしてこう言いました。

 

「君達の所では雨が降らないの?この森には器になる葉っぱが多いから、そこにたまった雨を使うんだ」

 

 リッタはレッタが持ってきてくれた水を思い出しました。

 ミグラントの里の雨も少しだけ思い出して、ミザにこう言いました。

 

「雨は降るけどそんなに多くは降らないんだ。ここは水に恵まれているんだね」

 

リッタとミザの会話を聞きながら、レッタは森を見渡していました。そして、少し珍しいものを見つけました。

 

「ねえ、ミザ。あそこにある、あの背の高い物はなんだい?」

 

ミザはレッタの指す方を向きました。レッタが見つけたのはこの森には少し不自然などの木よりも背の高い小屋のようなものでした。

 

「あれはね、僕が生まれてくるずっと前からあった物なんだ。大人に聞いても生まれた時からあったとしか答えが返ってこないんだよ。ただ、あそこは森が全て見渡せるから、羽根を持った人達がよく止まったりしてるんだ」

 

ミザの話を聞きながら、レッタは風に揺られている木々と、びくともしない高い小屋をじっと見つめていました。

風の音と、葉がこすれ合う音が心地よくあたりに響きます。

ミザも小屋を見つめてしばらく黙っていました。

 

「あそこに行ってみたいな」

 

そう言ったのはレッタでした。ミザは少し不安そうな顔をしましたが、レッタの呟き方がとても切なく聴こえ心に染みたので、否定的な言葉を飲み込みました。そして小屋を目指すためにその場を離れようとした、その時でした。一羽の鷲が近くを通り過ぎたのです。

 

「丁度いい人がいる」

 

ミザはそう呟くと、素早くレッタとリッタを岩陰に下ろし、体を半分乗り出して叫びました。

 

「おーーい!カノーー!!」

 

ミザの声が風に乗ると、鷲は上に向かって羽ばたき、風を起こしながらミザの所に着地しました。

 

「こんにちは」

 

その鷲は少しだけミザより大きく、そしておおらかな雰囲気を持つ鷲でした。

 

「初めまして、レッタです」

「リッタです」

「はい、初めまして。カノですよ」

 

挨拶をし終わったカノに向かってミザが言いました。

 

「この二人をあの上の小屋まで運んでくれないかな」

 

その言葉にレッタとリッタは驚いてミザを見ました。

 

「僕達歩いて行けるし大丈夫だよ」

 

カノの大きさは一人乗るにしてもギリギリの大きさで、人を乗せて飛べる様にはとても見えませんでしたし、初対面の人のお世話になるのは気が進みませんでした。

 

「カノはこう見えて丈夫なんだよ。二人をあそこに運ぶなんて容易い事だよね」

 

ミザが言うとカノは静かに頷きました。

 

「一人片羽根で行けるよ」

 

その言葉にも二人は驚きました。カノはレッタとリッタを同時に運ぶつもりでいるのです。

リッタは身を乗り出してミザに言いました。

 

「でも君はどうするの?僕達だけ楽は出来ないよ」

 

するとミザは寝ているアルの様子を見て言いました。

 

「僕は君達よりずっと足が速いんだ。君達と歩いてたらあっという間に日が暮れちゃうよ」

 

それもいいけどね、と言いながら、寝ているアルを口でくわえて一気に丘を下っていってしまいました。ミザはレッタとリッタが早く心置きなく遊べるようになって欲しかったのです。ミザ自身も、早く二人と遊びたかったので、話がしたいのを少しだけ我慢して二人の望む事を出来るだけ早く叶えてあげたかったので、ミザはカノに頼みました。

ミザの言う通り、ミザは風のようにずっとずっと早くかけていきました。

 

「ミザは歩く時間も惜しいくらい二人の事を気にかけているんだよ。ミザがあの小屋の下につく頃には用事が終わっているように、私達も急ごうではないか」

 

その言葉があまりにも心にストンと降りてきたので、レッタとリッタは大人しくカノの指示に従いました。

 

「あ、帽子・・・」

 

羽根につかまり、さあ飛ぼうという時にリッタが呟きました。

 

「あの帽子を被っていたら木の葉のように飛ばされてしまうよ。ここに来るやつはめったにいないから、安心して岩陰に預けておきなさい」

 

レッタとリッタは少し寂しく思いましたが、カノの言う通り岩陰に預けておく事にしました。

しばらくして、リッタとレッタが高台のはしごを使ってゆっくりと下りてくるのが見えました。カノは二人が落ちてしまってもすぐ助けられるように、羽根を器用に使い、二人のペースに合わせてゆっくりと下りてきます。

ミザは、不安がり足の周りをうろうろするアルをなだめ、二人が降りてくるのをずっと見守っていました。

先に下りて来たのはレッタです。

レッタは地面が近付くとはしごから手を離し、そのまま身軽に着地しました。随分高いところから下りてきましたので、しびれた両手をじっと見つめた後にミザの方を見ました。

 

「僕はリッタが先に来るのかと思った」

 

 ミザはそうレッタに言いました。そのリッタが地面に辿り付くまでもう少し時間が要るようです。レッタはその言葉にくすりと笑い、こう言いました。

 

「リッタは少し怖がっていたから、僕が先に下りさせてもらったんだ」

 

これは嘘でした。レッタはリッタが手を滑らせた時、受け止められるように先に下りたのです。レッタは何も言いませんでしたが、リッタにはそれがちゃんと分かっていました。その証拠に、リッタはしびれた手を見る前にレッタに駆け寄ってきました。

 

「凄く高いところだったね。あんなに高いところ、この森に来た時以来だよ」

 

アルはリッタを労わるように擦り寄ります。リッタはしゃがんでアルの頭を撫でてやりました。アルの頭はふわふわしていて柔らかいので、リッタの手の痺れを和らげました。その横にカノが着地します。

 

「ありがとうございました」

 

二人はカノに頭を下げてお礼を言いました。

 

「二人ともよく頑張りました」

 

カノもゆっくりとお辞儀をして言いました。

 

「二人ともカノに降ろしてもらえば良かったのに」

 

ミザは二人が下りてくる前からずっと思っていた事を口に出しました。その言葉を聞いて、レッタとリッタは柔らかく笑いながら、こう言いました。

 

「僕達は自分が出来る範囲の中で生きていきたいと思っているからね」

「ミザと同じ様にね」

 

ミザはその言葉に驚きました。ミザが二人と同じ理由で高台に上らない事を、高台の上で二人はカノから聞いたのです。猫の手ではあの長い梯子を下りられませんからね。

ミザは照れながら話を変えようと口を開きました。

 

「この森は、二人の目から見てどうだった?」

 

 するとリッタは高台を見上げ、

「泡みたいだなって思った」

 

と言いました。ミザは首を傾げましたが、リッタがあまりにも寂しそうな顔をするので言葉は心の中に閉まっておきました。風に揺れる木々の擦れ合う音に耳を澄まし、リッタが続けます。

 

「空が水みたいで、風に吹かれて舞い上がる花びらや木の葉が、泡みたいなんだ。あぁ、どこかで命がくすくす笑ってる。そう思ったよ。ちょっと、僕達の生まれた場所に似てた」

 

レッタも静かに頷きます。ミザは普段過ごしているこの森をそんな風に見る事が出来るなんて考えた事もなかったので少し驚きました。それと同時に、二人の生まれた所が、二人の今までが、とても気になりましたが、立ち入る事の出来ない領域に二人の本当の姿がある気がして、そのまま口をつぐみました。

 

「ねぇ、ミザ。この森には湖って無いの?」

 

そう声をかけたリッタはいつもの無邪気な子供に戻っていました。ミザは少し安心して声を出しました。

 

「湖は無いよ。水は雨でしか取れないんだ」

「湖はあるよ」

 

聞き慣れない声が聞こえました。とても可愛い声ですが、少し小さくてどこからしているのかリッタとレッタには分かりませんでした。けれどミザとカノは分かっているようでした。

 

「こら!嘘をついちゃダメだろ」

 

ミザは尻尾に勢いをつけてアルの頭をはたきました。レッタとリッタは予想しなかったミザの行動に驚き目を丸くしました。アルは負けじとミザの顔をじっと見ます。

 

「湖、あるの?」

 

リッタはミザに聞きました。ミザはアルを前足で転がしてリッタの方を向きました。

 

「湖は無いよ。二人が水のある湖を探しているなら尚更さ」

「北にあるよ」

 

尚口を挟むアルをミザは前足でごろごろと転がしました。リッタが止めようとオロオロしている中、レッタはカノに視線を投げかけました。カノは羽根の先を器用に動かし、傍に来るようにいいました。

 

カノが言うには、アルが懸命に言っている湖は一年中凍ってしまっていて、ミザの言う通り湖としての機能が損なわれているそうです。昔、その氷が溶けていたという話がおとぎばなしのように伝わっているものの、今居る住人達誰一人として溶けた姿を見た事が無いものですから、実際そうだったのかは分かりません。けれどアルの言葉は不思議と事実に基づいているように聞こえます。考えても見て下さい。あの無口で控えめなアルが怒られても声を出して主張しているのです。どうやらアルは、カノもミザも知らない事を知っているようでした。

 

「凍った湖だなんて、神秘的だね」

 

そうカノに向けて言ったレッタの何気ない言葉にミザの大きな耳が反応しました。ミザはレッタの何気ない一言に弱いので、皆は結局凍っている湖まで行く事になりました。カノは、どうも氷は苦手なんだと言って、朗らかに四人を見送った後、木の上まで飛んで行きました。

 

湖は草の生えていないガラスの地面のようでした。下から漂う冷気が森の終わりを演出しているようで、リッタとレッタはただ眺めている事で精一杯でした。この湖を皆さんはどんな大きさで想像しているでしょうか。具体的な大きさを述べる事は出来ませんが、レッタとリッタが夢に見た平原くらいの大きさはあるでしょう。レッタとリッタが知っている平原よりはだいぶ小さくなりますけれどね。

 

じっと木の陰で見ているリッタとレッタの横をミザがするりと抜けます。凍った湖の上を躊躇いもせずに歩いた後、レッタとリッタを尻尾で呼びました。ミグラントの里にある湖は、一年中暖かいので、湖の上を歩くのはこれが初めてです。二人は慎重に氷を踏みました。二人が乗っても氷は音を立てず、硬い石を踏んでいるような感覚でした。氷には一面空が映し出されていました。

 

「ここは、なんだか空の中にいるみたいだね」

 

リッタが言います。声がよく反響するので、自然と無口になってしまう場所のようです。レッタとリッタが知っている暖かな湖と同じ湖とは到底思えませんでした。

 

「ラカイユー」

 

アルの声が反響します。アルは氷の湖に住んでいる何かを知っているようです。アルが湖の上をとことこと歩き回ると、アルの足元から一匹の虫が出てきました。その虫はセミの幼虫に良く似ていて、背中には可愛らしい花を咲かせ、そしてアルと同じくらいの大きさでした。ミザはその虫の事を初めて知りましたので、アルがどうやって見つけたのか気になりました。三人はアルとその虫の元に集まりました。

 

 

レッタとリッタ   2友達との出会い

 

 「あそこにいるの、いつかママナが話してくれた猫という生き物じゃない?」

 

リッタが声を潜めてレッタに言いました。

レッタは葉の影に隠れてリッタの指差す方を見つめました。

 

「確かに、絵と模様は違うけど、三角の耳に、長い尻尾がある」

 

それからレッタは人差し指をたて、1、2、3、4、5と呟いてから自分の近くにある大きな葉の茎を5等分にしました。そのうちの一本をとってリッタが手を動かして言いました。

 

「この縦がこの大きさだと横はこのくらいかな。もう大人だね」 

 

猫の隣にある草を目安にして大きさを図っていたのです。レッタは頷いて、また猫の方を見ました。

 

「だけど、凄く心細そうだ」

「子供がはぐれちゃったのかな」 

 

二人は気まずそうに顔を見合わせました。 猫は鋭い爪で獲物を襲うと話に聞きましたので、安易に近付く事が出来ないのです。

けれど二人の目の前にいるそれは、襲う姿が想像出来ないほどに、か弱い存在に思えました。 

しばらくしてレッタがリッタの瞳を見てこう言いました。

 

「少しずつ近付いてみよう。その代わり、少しでも動こうとしたらすぐ走るんだ」

 

レッタは試しに草の影から少しだけ姿を見せるように出ました。

猫はそれに気がつきません。

レッタの後ろを回り、リッタが草から離れました。

けれど猫は気がつきません。

 

「僕達よりも小さな生き物なのに、あの子にとって僕達の存在は取るに足らないものなんだね」

 

リッタがレッタの裾を握りながら辺りを見回している猫を見て言いました。

 

「取るに足らない存在でも、空気を振るわせる事が出来るじゃないか」

 

レッタはそう言って、握っていた葉を揺らし、がざがざと音を立てました。

レッタが揺らした葉が、隣の葉に、その葉がまた隣にと、二人の周りの葉がさざなみのようにちいさな音を立てました。その音は猫の耳に届いたようです。猫は少し耳を震わせた後に二人の方を向きました。

 

二人はしばらく様子を見ます。猫は何もせずに、ただ呆然と二人を見るだけです。

レッタが真剣に猫を見つめている間、リッタはというと、猫を見つめているふりをして実はレッタの様子を盗み見していました。猫の動作に集中している事を確認するや否や、音を立てずに傍を離れ、心の中で1、2、3と呟き、猫の方へ駆け出しました。

 

レッタは驚いて少しの間、動けなくなりました。けれど、その少しの間が追いつけない距離となって現れてきます。リッタはレッタを振り返ってこう言いました。

 

「目を見たら分かったんだ。きっと大丈夫」

 

レッタはリッタを止めようと走りました。レッタはリッタが猫に近付く事よりも、何か別の事で心配をしていました。

リッタが草をすり抜ける度、レッタがそれをすり抜ける度に、すずらんの形をした花がちりちりと鳴ります。

この騒ぎはほんの些細な騒ぎに過ぎませんが、猫の興味を引くのには十分でした。

猫はまんまるとした目を二人に向け、とうとう近付いてきました。

 

「リッタ!そこで止まるんだ!」

 

レッタが駆けながら言います。リッタは大人しくいうことを聞くと、しゃがんで猫を待ちました。猫も足早にリッタのもとへ来ます。レッタはリッタが止まった事に安心して駆けるのを止めました。猫の様子も穏やかそうに見えたので気が緩んだのです。

 

「ほら、もうちょっと」

 

リッタが猫に話し掛けます。

リッタの手が猫に触れようとしたその時でした。

話で聞いていた猫の大きさを遥かに超えた猫が木の陰からぬっと姿を現したのです。その猫はしゃがんでいるリッタを見下ろす事の出来る大きさでした。リッタはさすがに危険を感じ取ったのでしょう。小さな猫を抱き上げ、駆け出しました。

 

「リッタ!」

 

レッタは駆けて来るリッタの手を引いて、大きな猫と距離を置こうとしました。大きな猫はゆっくりと追いかけてきます。

 

「どうしよう、とっさにこの子連れてきちゃったよ」

 

片腕で抱いている猫を落とさないように気をつけ、リッタは手を引かれながらレッタに言いました。

 

「あの猫はきっとその子が目的なんだ。あと少し距離を置いたらその子を離してあげよう」

 

レッタとリッタは草を掻き分けて走り、大きな猫が通れないような木々の間を探しました。大きな猫は走ろうともせずゆっくりとこちらへ向かってきます。逃げられる道を見つけた二人はその入り口で止まり、リッタは急いで抱いていた猫を離してやりました。ゆっくりと足を止める大きな猫を確認し、レッタとリッタは木々の合間を縫うように駆けていきました。

 

「あの猫大きかったね。僕達の肩まで背丈があったね。僕達まるでママナが話してたネズミみたいだ」

 

息を切らしながらリッタが嬉しそうに言いました。

 

「それにあの子。全身がタンポポの綿毛みたいにフワフワしてて、凄く気持ち良かったなぁ」

 

そう言うと同時にリッタはごほごほと咳き込んでしまいました。レッタは足を止め、慣れた手つきでリッタの背中を撫ででやりました。

 

「走り過ぎたんだ。少し休もう」

 

そう言うとレッタはリッタを木の根に寄り掛かるように座らせ、少し待つようにと言いつけた後、草の中に消えてしまいました。

リッタはレッタの後姿を見て少し申し訳なく思い、傍にあるすずらんの形をした花をチリチリと揺らして見送りました。

すると逆方向からがさりと音が鳴りました。

リッタはその方向をじっと見つめてそこにいる何かが出てくるのを待ちました。

 

 

 

「森の水はこんなに冷たいものなんだ」

じめじめとした森をレッタが歩いていきます。霧はレッタの髪を濡らし、春であることを忘れさせる程冷たくさせました。

レッタ達は水に濡れる事が嫌いなわけではありません。ですが、ミグラントは他の生き物に比べ、少しだけ寒さに弱いのです。レッタは、リッタの不安を拭う為にこの森が素敵だと話しましたが、一人きりになるとまるでクジラに飲み込まれるような不安に襲われます。この水滴は完全に防げるものではありません。この冷たい霧が長く続けば風邪を引いてしまいます。あの大きな猫も、ミグラントを食べる生き物だったらと考えてしまうのです。

考えれば考えるほど、周りは敵ばかりのような気がしてきます。そんな不安を追い出すようにレッタは首を横に振りました。

 

今はリッタに飲ませる水を探す事が先です。しかし、レッタは探せども木や草ばかりの風景に焦りを感じ、葉に隠れた空を仰ぎながらこう呟きました。

 

「ここに湖が無かったら、僕達はどうなるんだろう」

 

レッタはとりあえず、水の溜まっている葉を探してまた歩き出しました。

 

 

 

綺麗な音が透き通って森に染み込んでいきます。

レッタはその音を珍しいとも思わず、ゆっくりと森を歩きます。レッタの中にあった不安はその音にすくいあげられ、いつの間にか姿を見せなくなりました。

 

「お帰り、レッタ」

 

リッタは丸い小さな笛を口から離し、レッタに笑いかけました。

大人しく待っていたからでしょう。顔色は良くなり、いつものリッタに戻っているようでした。レッタは水の入った大きな葉を両手で持ちながら、リッタの膝の上にあるまあるい物を見て言いました。

 

「それは何?」

 

聞かれるとリッタは少し困った顔をして笑いました。

 

「さっきの子、僕達のあとついて来ちゃったんだ」

 

リッタが優しく撫でると、まるい物から尻尾が出てきて気持ち良さそうに揺れました。

レッタはすずらんの形をした花を一つ摘んでコップ代わりにしました。花をリッタに渡すとレッタは水の入った葉を抱えながらリッタの前に座り、まるくなって眠る猫の様子をうかがいました。

 

「花をチリチリ鳴らしていたら興味津々にこっちを見てたから、音が好きなのかと思って笛を吹いたんだ。そしたら膝の上でまるくなって寝始めちゃってさ」

 

レッタは猫を優しく撫でてみました。猫は喉をごろごろと鳴らし、手に擦り寄るように体を少しだけ動かしました。猫の毛は不思議と表面だけしか濡れて無かったので撫でるとふわふわして、とても暖かく感じました。

リッタを冷たさから守ってくれていたのだとレッタは思い、感謝の気持ちを込めて優しく優しく撫でてあげました。

 

「だけど、この子がここにいるとなると、あの大きな猫はずっと探し回っているはずだ」

「でも、あの猫に比べてこの子は随分と小さいよね」

 

二人はリッタの膝で眠っている猫を見て黙ってしまいました。リッタは、もしかしたらこの小さな猫も大きな猫から逃げていたのではないかと考えたのです。レッタはリッタの言いたい事を理解し、大きな猫の前に帰す事が良い事なのかどうか悩み始めてしまいました。

 

「この子が話せたらいいのに」

 

猫はリッタの言葉にふと顔を上げました。レッタはその頭を撫でてこう言いました。

 

「違うよ。僕達がこの子の言葉を理解出来たらいいのに、だ」

 

そうは言っても、この事態がどうにかなるわけではありません。猫は人の言葉を話せませんし、二人は猫の言葉を知る術がありません。それどころか、小さな猫の鳴き声すら、まだ知りませんでした。

 

「猫は‘にゃー’と鳴くとママナが話してたけど、この子はにゃーとも鳴かないね」

「猫も会話する時以外は鳴かないのかもしれないね」

 

リッタは笛を服の下にしまいレッタからもらった水を飲み干すと、膝で眠っている猫を抱き上げました。

 

「どちらにしてもここでのんびりは出来ないからね。ごめんね」

 

レッタはリッタの代わりに猫を抱こうか迷いましたが、猫にとってもリッタにとっても今の状態が一番だと思いましたので、そのままリッタの足取りに合わせて歩いていきました。

二人は一通り森の中を歩いた後、自分達の家だと決めた大きな葉の下に戻ってきました。けれど、二人の表情はほっとしたものではなく、何かに困り果てていました。二人はある探し物をしていたのですが、どうしてもそれが見つからないのです。その途中、大きな猫と遭遇する事も無く、珍しい物も何もありませんでした。

リッタは猫を膝に乗せて座りながら細い草を束ねて編みこみ、レッタはまわりに生えている背の高い葉を編み込んでいます。大きな葉を屋根にして家を作るのです。これは、これから先水滴と寒さに耐えられるように、そして危険な生き物に見つからないようにする為の作業でした。

 

「森ってこんなに広いんだね。木が沢山あるから、狭く感じていたよ」

 

 リッタが言います。

 

「目に見えるものが全てじゃないって事だね。それだけまだ楽しみが残っているという事だよ。楽しいね、森は」

 

 レッタが草を編みながらそう言いました。森を実際に歩いてみて、草木に触れると、大変だった森が少しだけすきになるものなのです。新しい何かに触れる事も、楽しい事ですからね。

森の事を考え目を細めていたリッタですが、しばらくしてからまた不安が募り、ふうと溜息をつきました。

 

「目に見えるものが全てではないけど、僕達には見える場所しか分からない。森はあとどの位あるんだろう」

 

 レッタは草を編みながら、こう言いました。

 

「もう少しだったらいいね。森が把握出来るし、全てを知った分怖くなくなる」

 

レッタの言葉でもリッタの不安を消すことが出来ません。

 

「だけどその中に探し物が無いかもしれない」

 

 するとレッタが頬を緩めてこう言いました。

 

「大きくてもいいね。可能性が多い分、期待も夢も膨らむ」

「だけどまわり切れなくなる」

 

言葉を発する度に不安が増すリッタの様子がおかしくてレッタはクスリと笑いました。

 

「僕達が出来るのは知る事だけだよ」

 

いくら不安になっても、いくら期待しても、そこにある事実は姿を変えません。二人が今出来る事は、ただ歩いて探し物を探す事だけなのです。けれど、考え事をするのはとても面白い事だとリッタとレッタは知っています。今は、不安にのまれないように、頭を休めるだけです。

 

二人は、目で見た森と話の中の森を比べ、その違いに驚いたり同じ事に感動したりしながら、頭の中を楽しい事で一杯にしました。すると草を編む手も軽くなり、あっという間に二人の家が完成していました。入り口の草だけそのままなので、レッタは草を横に避けて家の中に入りました。

 

「夜は真っ暗になってしまうね」

 

レッタが言います。するとリッタは「暗くなったら眠ればいいんだよ」と笑いながら言いました。

 

その時です。外から声がしました。鳥や虫の鳴き声ではありません。レッタとリッタが理解出来る言葉で何かを探す声がしました。その声にリッタの膝で眠っていた猫が反応し、耳をぴんと立て、起き上がりました。

声はだんだんと近付き、二人と同じくらいの男の子だと分かるほどはっきりと聞こえてきました。

家の前まで来ると、声も足音もしなくなりました。

 

「アル。お昼までには戻ってくる約束。出てきなよ」

 

声は少し不満げです。その言葉を理解したように、小さな猫は草の入り口に潜り込んで外へ出て行きました。

レッタとリッタは顔を見合わせました。

 

「あの子アルって名前なのかな。僕達の言葉理解してたんだね」

「僕は僕達と同じ言葉を話す人がこの森にいる事に驚いたよ」

 

二人はこの森の話を聞ける又と無いチャンスだと思い、入り口の草を横に避けながら外に出ました。けれど、声の主らしき人の姿はそこにありませんでした。小さな猫の姿も見当たりません。二人はおかしいと思い辺りを見渡してみると、小さな猫の小さな後姿を見つけました。そしてその前には大きな猫がゆっくりと歩いて行くのが見えました。リッタがとっさにすずらんの形をした花をチリチリと鳴らすと、猫達は耳を立てて振り向きました。

 

「あ、あの、またおいでね」

 

リッタは一生懸命言葉にしました。そして大きな猫に向かって「誤解してごめんね」と頭を下げました。すると大きな猫はレッタとリッタをじっと見つめました。

 

「僕達今からおいしい木の実を取りに行くんだ。一緒に行かない?」

 

そう声が聞こえてきました。レッタの声でもリッタの声でもありません。ですが、周りを見渡しても誰もいません。いるのは目の前にいる大きな猫と小さな猫だけです。リッタはどこにいるか分からない声の主に向かってこう叫びました。

 

「行きたい!一緒に行きたい!」

「じゃあ僕達のところまで来て」

 

声の主はこう言います。リッタは焦りながら周りを見渡しました。

 

「でもどこにいるのかが分からないんだ」

 

必死に声の主を探すリッタの肩をレッタが二回軽く叩き、大きな猫を指差しました。

 

 

大きな猫は不思議そうな顔をして「もしかして目が見えないのかい?」と心配そうに寄ってきました。

 

 

レッタとリッタ     1初めての森へ

 

あなたは聞いた事があるでしょうか

空を自由に行き来している村があると言う事を

 

空を見上げて見て下さい。そこには白い雲がありますね。

雲は白いだけではありません。よく見て下さい。雲の中には色々な「影」があるのです。

太陽の光をさんさんと浴び、光に包まれている場所と、

全てが影に覆われている場所。

そして、小さな雲の段差に出来る薄い影。

そこに住む民がいると言われています。

 

「なんでそんな所に住むんだろうね。日に当たるなら日に当たる。隠れたければ隠れればいいのに」

「そう都合よくいかないものだよ。何事も程々がいいのさ」

 

そうです。白い部分は焼けるほど熱く、影の部分は凍るほど冷たいので、雲に住む民はいつ光に焼かれるか、いつ影にのまれるか、怯えながら生きなければならないのかもしれません。

 

「光が綺麗に見えるだろうね、影が愛しく思えるだろうね。一日一日、怯えながら、確かめながら生きていけるだろうね」

 

 それはとても素晴らしい事だと思いました。

 

「さぁ、僕らも今日という日を無くさないうちに目を覚まそう」

 

 

夢の中で二人が目を閉じると、大きな雨粒が顔を目掛けて落ちてくる様子がゆっくりと目に映りました。

 

「冷た」

 

 

鬱蒼とした森の、小さな草々の大きな葉の下に、一生懸命頭を振っている可愛らしい姿がありました。

現実への帰還、朝の目覚めです。

 

「おはよう、リッタ」

「おはよう、レッタ。今日は空気が冷たいね」

 

二人はお互いの手元にある帽子を被り、朝の挨拶をします。苔色の帽子がリッタ、幹色の帽子がレッタです。

二人は着ている服が重くなっている事に気が付きました。水を滴らせながらその場で立ち上がります。

 

「これはきっと、あの‘霧’というものだね。僕らが屋根にしていた葉っぱが霧を捕まえて水滴にしていたんだ」

 

レッタは頭の上にある葉の先を優しく引き寄せて水滴を土に返してやりました。

リッタは屋根代わりにしていた葉の先まで行き、水に包まれた森を無心に見つめて言いました。

 

「森の中は悲しそうに見えるね。夢の中は青空だったのに」

「夢の中は確かに青空だった。けど」

 

そう言ってレッタは身を乗り出し、木々を見上げてこう言いました。

 

「夢の中にはこの森無かったよ。広い、広い平原だった」

 

二人はこの名も無い森で生まれた訳ではありません。

二人の故郷は広い平原です。

広い、広い平原に、一本だけ立っている天に届きそうな木。

その木が沢山集まっている森に憧れているのが、ミグラントという種族でした。

 

レッタとリッタは選ばれましたので、年に1度吹く春風に乗って、森にやってきました。

それはミグラントにとって、とてもうらやましい事ですが、二人は森に強い憧れを抱いている訳ではありませんでした。

 

「僕達、ここで暮らしていくんだね。遠くを見渡せなくて、木々に意地悪されている気分だ」

 

誰でも、新しい事は不安に思うものです。少しだけ悲しそうなリッタを見て、レッタは静かに微笑みました。

 

「きっと、僕達の楽しみが減らないように、隠してくれているんだよ。今日中に見つけたい物もある事だし、森の中を回ってみよう」

 

 

そう言うとレッタはリッタの手を引いて、空の見えない森をかけていきました。

 

 

 

海と星子

暗い暗い海を何度泳いだ事でしょう。

クルムは波に包まれながら夜の星空を見て不思議な気持ちになりました。

夜空に浮かぶ星達は取るに足らない小さな粒のように見えましたので、ミグラントの里に居た頃は星空を砂漠のように思い、そこに上る星子達を見てよく涙を流したものです。

ですが、波に身を任せている今では、星空をまるで鏡のように見つめています。

この広く暗く、暖かい海でクルムは以前よりも自分がほのかに輝けているような気がしました。

それと似ている星空はきっと今のように暖かいのだと思うと、空に上る不安が少しだけ海に溶けていきました。

 

 

何分広い海での出来事ですので、二人が今どこに行ったのかは、私達が知り得る話ではありません。

ただ、月影に一羽のカモメが照らされて、今日も夜が更けていく事だけは確かなのです。

命について

これはツバメが教えてくれたことだけれど、遠くの海で一人のミグラントが亡くなったらしい。

森に辿り着けず、海に迷い込んでしまったミグラント。

そんなミグラントに鳥と魚が好意を寄せた。

日に日に衰弱するミグラントを助けたくて、鳥は木苺のジュースを海に運んだ。

「これは植物の血の色なの?」

そう聞くミグラントに魚はこう答えた。

「それはミラが溶けた色です」

 

ミグラントは春風に乗れなくなりそれでも森への憧れは消えることなく

魚と二人広い海を泳いでいったという。

 

 

僕は小脇の瓶を揺らし、遠くの海に思いを馳せた

 

 

 

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