レッタとリッタ  5死にかけのミグラント

 

ここのところ、日の光が森の奥まで届きません。

空は雲に覆われ、森には小雨が続いています。春の陽気にはしゃいでいた子供達もすっかり大人しくなり、森はただ雨がしとしと降るだけになりました。

森が静かなのはそれだけじゃありません。ここ数日、リッタの具合が良くないのです。

レッタはそれを疲れだと皆に教えましたが、家の中に誰かを入れる事はありませんでした。

 

ミザは会えない代わりに、毎日花を入り口に置いていきました。初めは木の実を置いていたのですが、夜中、木の実を持って湖に向かうレッタの姿を見て、二人は物を口にしないのだと分かりました。レッタは辛い事を表に出しませんので、今がどのような状況か知る事が出来ません。けれど、寝込んでいるリッタを見て、レッタが平気な訳が無いとミザは思うのです。ミザは何も出来ませんが、せめて花だけはと、雨の振る中毎日二人の家まで届けに行きました。

 

今日も花を入り口にそっと置き、寝床に戻る途中の事でした。

コルンが雨にうたれながら、木に引っかかっている何かをつついているのです。

ミザは目が良いのでどんなに高い所でも見えますが、その周りをコルンが飛び回るので、何が引っかかっているか分かりませんでした。

 

「コルン何してるの?」

 

ミザはコルンの耳に届くように言いました。

コルンはミザの方を向くと、何かを決心したように、つついていた物を枝と枝の間から引き摺り下ろし、それを口にくわえながら賢明に羽根を羽ばたかせました。カノはレッタとリッタを乗せて空を飛びましたが、コルンには一人でも支える事が出来ません。コルンは、自分がそれを支えられないと理解した上で引き摺り下ろしました。

 

コルンは予想より軽い荷物に驚きました。軽いと言っても、コルンが完全に支えられる物でもありませんでしたので、ある程度下に下りたら、その荷物をミザ目掛けて落としました。ミザはそんな事を予測していませんでしたので、逃げようと思うより早く荷物の下敷きになってしまいました。コルンは荷物が無事にミザの上に落ちたと安心すると、雨で重くなった羽根を羽ばたかせ、優雅に降りていきました。

 

「酷い」

 

ミザはその言葉しか出てきません。コルンはミザの上に伸びている物の襟首をくちばしではさみ、雨のあたらない所まで引きずっていきました。

ミザがどろどろになった体を起こしコルンの元へ行くと、そこにはリッタやレッタと同じ服装の子供が青ざめた顔で横たわっていました。コルンはその子をミザに任せ、またどこかへ飛んで行きました。ミザは青ざめた子供をレッタ達と同じ種族だと思いましたので、心配事を増やすのは気が引けましたが、レッタに相談しようと考えました。ミザは木に横たわる子供を器用に背負い、なるべく雨のあたらない道を静かに歩いて行きました。

 

コルンはどこに向かったかと言うと、やはりレッタの所でした。ミザの口から説明すると頼りなく聞こえてしまうかもしれないという心配りもありますし、コルンは力が無い代わりにどの鳥よりも速く飛ぶ事が出来ますので、病人の為にもなると考えたのです。

 

コルンは少し気をつけながら小さく鳴きました。すると、入り口の草を掻き分けて顔を出したのはレッタではなく、楽な格好をしたリッタでした。雨で目立ちはしませんが、リッタは目に涙を溜めていました。

 

「今、レッタはいないんだ。良かったら入って」

 

コルンは顔だけ家の中に覗かせました。家の中には紙が沢山散らばっていました。リッタはそれを急いでまとめ、草で出来た布団の上に座ってコルンの方を向きました。

レッタはリッタの具合が悪くなってから誰も家に入れなかったので、リッタは一日中床に伏しているものだとばかり思っていたので、それなりに動けるリッタを見てコルンは拍子が抜けました。

 

「具合はどうだ?随分長引いているようだが」

 

コルンがそう聞くと、リッタは一瞬表情を暗くして、それからコルンに苦笑いをしました。

 

「丁度今良くなったところ。もう大丈夫」

 

リッタがこんな風に笑うのは初めてでした。いつも元気に振舞っているリッタの弱い所を、レッタは隠してあげていたのかもしれないとコルンは思いました。それで家に誰も入れていなかったのだとしたら、これからミザをリッタに会わせるのはよした方が良いとコルンは判断しました。やはりレッタに来てもらう他、方法は無さそうです。  

 コルンは事情を話し、レッタがどこにいるか尋ねました。けれどリッタは悲しそうに笑い、分からないと答えました。

 

「その子の事なら僕が看るよ。迷惑かけてしまうけど、他のお願いをしてもいいかな」

 

コルンはその場でゆっくり頷きました。なんでも自分でやるリッタがお願い事をする時は、本当に困った時だけだと知っていたからです。リッタは真剣な顔をしてコルンにこう言いました。

 

「森でレッタを見かけたら、傍にいて、離れないで欲しいんだ」

 

コルンはやっと到着したミザに子供をそこに置いてついてこいと手短に言いました。

ミザはコルンの様子に少しおかしい所を見つけ、入り口に子供を降ろすと空を駆けるコルンの後を急いで追いました。リッタは入り口に預けられた子供を見て驚き、取り合えず看病がしやすいように家の中に運び入れました。

 

こんな大きな森の中なので、あんな大事が起こっても木々はざわめきません。非常に静かな形を保ち、森の動物達を日常でくるんでいるのです。カノも日常にくるまれた一人でした。雨にうたれながら大空を自由に泳ぎまわります。森の中は代わり映えしないと思いながら飛んでいましたが、ある一本の木に意外な人影を見つけたのです。 この森にその姿をした人は二人だけです。

カノがゆっくりと近付いてみると、やはりそれはレッタでした。珍しく帽子を被っていないと思ったら、レッタはそこらじゅうが傷だらけになっていました。傷だらけのレッタが何故木の上に登っているか予想も出来ませんでしたので、カノはしばらくその場でレッタを見守っていました。

すると、 レッタは迷う事無く木から飛び降りました。カノは心の底から驚いて、落ちるレッタを受け止めようとしましたが、 レッタが下りた高さから地面までそう遠くなかったので間に合わず、地面に転がるレッタを見る事しか出来ませんでした。

レッタは痛そうにうずくまり、体の傷を見ると、また木に登ろうと足を掛けました。

 

「レッタ!」

 

カノはレッタの襟首をくちばしに挟み、木に手の届かない広場まで連れて行きました。

レッタはまさかカノに見つかるとは思っていませんでしたので、気まずそうにカノを見ました。カノは、レッタの行動をリッタと苦しみを共用する為のものだと思い、レッタは少し気が動転しているのだと考えました。

 

「リッタの為に傷を負うのだとしたら、それは考えを改めなくてはいけないよ。レッタ。君が傷付いてもリッタが元気になる訳ではないからね」

「なるんです」

 

レッタはそう言い切りました。カノはレッタが言葉とは裏腹にとても冷静な目をしている事に驚き、レッタを見つめ返しました。

 

「僕達はてんびんだから」

 

カノは俯いてそう呟くレッタが酷く脆いものに見えました。

レッタはカノの目をまっすぐ見てこう言いました。

 

「片方の皿を持ち上げるには片方の皿に重石をのせるでしょう?僕達はそういう作りになっているんです」

 

だから心配しないで下さい。

カノにはレッタがそう言っているように思えたのです。ですが、これ以上レッタが傷付くのを黙って見ている訳にもいきません。困っていたところをコルンが空から見つけ、ミザと一緒に駆けつけました。コルンはリッタに言われた事をそのままレッタに伝えると、レッタは大人しく家に帰ろうと言いました。

 

カノがレッタの言葉の意味を理解したのは、リッタの血色の良い顔を見た後でした。

レッタとリッタの話によると、青ざめた子供はふたご座の星子のようです。本来、ミグラントの里では毎年一人しか春風に乗らないのに、このふたご座の星子が時期はずれの風に乗って同じ森に辿り付くのはおかしいと首を傾げていました。その星子は、リッタとレッタの看病により、数日の間で随分と血色が良くなりました。ですが、二人は風邪を引いてしまい、うつるといけないので外で遊んでくるように星子に言いました。星子の名前はヒチイといいました。

 

「レッタとリッタ、大丈夫かな」

 

ミザが歩きながら言います。具合が良くないのは確かですが、今度は大丈夫です。二人で風邪を引いたのですから。レッタとリッタは今頃家の中で手を繋いで寝ている所でしょう。

アルは二人の家の屋根に登り、丸くなってお昼寝をしていました。具合の良くないリッタに突然傷だらけになったレッタを見て安心できなかったのでしょうね。アルの鳴き声は何よりも先にミザの耳に届きますので、見張り役の名目で二人の傍にいさせてもらったのでした。

 

「いいなぁ、二人は」

 

ヒチイが目を細めて言いました。ミザが不思議そうにヒチイを見ます。ヒチイは苦笑いをしてミザにこう言いました。

 

「僕は二人で生まれてこれなかったからさ」

 

そうなのです。ヒチイはレッタとリッタと同じふたご座の星子だというのに一人ぼっちで生まれてきました。けれどミザはリッタの口から星子は星の数だけ生まれてくると聞いたので一人ぼっちで生まれてくるなんて想像がつかなかったのです。

 

「ふたご座の星子達はさ、レッタとリッタみたいに皆双子なの?」

 

それを聞くとヒチイは立ち止まってしまいました。

 

「ふたご座は、ミグラントの中に僕と、レッタとリッタの三人しかいないんだ」

 

そう言いながら咳き込むヒチイの背中をミザは尻尾でさすり、自分の上に乗るように言いました。ヒチイはとても軽く、寄りかかったリッタよりも重くありませんでした。

ミザは揺らさないよう静かに歩きながらヒチイにこう聞きました。

 

「ミグラントの数はどの位いるの?」

 

するとヒチイがミザの背中にもたれかかりながら

 

「ミグラントは星の数だけ居るよ」

 

と答えました。そしてそのまま

「だけどふたご座は三人しかいないんだ」

と言いました。

 

ミザが分からないという顔をしながら歩くと、ヒチイは嬉しそうにこう言いました。

 

「僕ね、レッタとリッタの手紙を読みながら、ずっとこの森に来てみたいと思っていたんだよ」

 

ヒチイはミザのふわふわした体にしがみつきました。ミザはレッタとリッタが手紙を送っているなんて知りませんでしたので、ヒチイが森の事を知っているのは不思議な感じがしました。

 

「大きな木の実があるでしょう?それ食べてみたいな」

 

咳き込みながら言います。ミザは、リッタの風邪の一件でミグラントは食べ物を口にしない種族だと思っていましたので、ヒチイの言葉に驚きました。

 

「ヒチイは物を食べられるの?」

 

ミザがそう聞くと、ヒチイは少し寂しそうな声でこう答えました。

 

「僕はね、もう飛ぶ必要が無いからいいんだ」

 

レッタとリッタはダメだろうけど。そう呟きました。

それからヒチイは木の実を食べたり、コルンに話を聞いたりして充実した一日を過ごしました。ヒチイがリッタ達の家に帰ろうとすると、珍しくカノがヒチイを高台に連れて行きたいと申し出ました。ヒチイはカノのことも知っていましたので、レッタとリッタが体験した事を自分も体験できる事に感動し、喜んで連れて行ってもらう事にしました。

 

その翌日も、翌々日もヒチイは楽しく遊びました。その間、リッタとレッタの具合も良くなっていましたが、二人はヒチイを笑顔で見送り、そして笑顔で迎えました。

ミザがリッタ達の家を覗くと、散らばった紙を丁寧にまとめるリッタと、懸命に文字を書くヒチイ、それを見守るレッタの姿がありました。

 

「やあ、ミザ。散らかってるけど良かったら入って」

 

リッタが促しましたが、ミザは入り口を覗くだけにしました。アルは小さいので、ミザの横をすり抜けて、床に散らばっている紙の匂いを不思議そうにかいでいました。

 

「何してるの?これ」

 

そうミザが不思議そうに聞くと、リッタが嬉しそうにこう言いました。

 

「手紙を書いてくれているんだよ」

「ヒチイはミザ達と遊べた事が嬉しくて、それを里の皆に伝えたいんだって」

 

レッタが優しく微笑みながらそう言います。ミザは少し照れくさかったので、少し拗ねたようにこう言いました。

 

「僕はレッタやリッタが毎日手紙を出しているなんて知らなかったよ」

 

どうやって出しているのかも分からないし。

と少し小さな声で呟きました。ヒチイは何かを隠そうとはしないので、レッタやリッタが隠していた事が少しずつミザにばれていったのです。

 

レッタもリッタも、意地悪をして隠そうとしている訳ではありませんので、ミザが興味を持った事は出来るだけ教える事にしました。ミザも、以前より二人に質問しやすくなりました。ヒチイが森に来てから、空気が少しだけ明るくなりました。なので、今回のミザの不満も、明るく解消されるでしょう。リッタが笑って、

「今夜はヒチイが手紙を届けるから、僕達と一緒に見に行こうか」

と言いました。

もちろんコルンも気になっていましたので、その話を聞きつけて、夜が苦手にも関わらずミザの背中に乗ってついていく事にしました。そんな中、カノだけは姿を見せませんでした。

 

レッタはいつもより多く蛍石を持って先頭を歩きました。今日はリッタも一緒ですので、いっそう明るく闇夜を照らしました。ヒチイは途中で倒れるといけないので、ミザの尻尾に支えられながら歩きます。コルンは遠慮なくミザの背中にどっしりと構えていました。

 

ミザが夜の散歩で見かけたレッタは、湖の水を取りに行くだけではなく、里への手紙を送りに行く最中だったのでした。レッタがミザを湖から遠ざけたのですから、湖を作った時のように不思議な事が起こるに違いない。ミザは少しだけ期待をしながら、いつもより長く感じる道のりを頑張って歩きました。

 

湖に着くと、レッタがヒチイを連れて湖の真中まで行きました。リッタも初めはついていこうとしましたが、レッタに強く止められたので、アルを抱えながら、ミザやコルンと一緒に見守っていました。ミザやアルは目がいいので離れていても二人が何をしているかまではっきりと分かります。ですが、コルンはほとんど見えてません。リッタはそれが分かっていましたので、小さな声で二人がしている事を説明しました。

 

「ミグラントの里はね、湖と星で出来ているから、手紙を送る時も湖と星の力を借りるんだ」

 

空で小さな星が一つ流れました。その流れ星の光を受けて、湖に浮かせた手紙から糸のように細い光が空に向かって伸びました。それを見上げて、ヒチイはとても不思議そうな顔をしました。手紙は水に溶けてなくなりました。

 

「これで送った事になるの?」

 

ヒチイはあまりにも静かに事が済んでしまった事に不安を覚えました。レッタも最初は不安でしょうがありませんでした。

 

「僕達は里から返事を受ける事は無いから、送れたかどうかは分からないんだ」

 

ヒチイは寂しそうに笑うレッタを見上げて、なんだか申し訳ない気持ちになりました。

レッタは濡れた手でヒチイの頭を撫でて、

「君が僕達の手紙を見たように、この手紙もきっと里に届いているよ」

と優しい声で励ましました。

 

それを遠くで見ていたミザは、あまりにあっさりとした送り方だったので、ヒチイと同じ不安を持っていましたが、やはりレッタと同じ事を言うリッタのおかげで素直に綺麗だと思う事が出来ました。

 

「湖を作った時も思ったが、ミグラントというのは不思議な生き物だな」

 

コルンが細い光を目にし、満足そうに言いました。

 

「僕達は湖と星の間に生まれた子供だからね」

 

リッタはヒチイを撫でるレッタを見てそう言いました。リッタは細い光よりも、レッタの事を考えていたのです。

毎晩星は流れますが、それがいつ流れるかは分かりません。流れるまで辛抱強く湖の中で待っていなければなりません。今日はたまたま早く流れましたが、ずっと流れなかった日もあったことでしょう。レッタより体を壊しやすいリッタは、手紙を送らせてはもらえませんでした。ですが、今度からは一緒に連れてきてもらおうと心の中で思いました。

ミザ達が家に帰るのを見送った後、ヒチイはこんな言葉を口にしました。

 

「僕ね、レッタとリッタがなんでずっと家にいたか分かったんだ」

 

レッタとリッタは少し背の小さいヒチイを見下ろして次の言葉を待ちました。

 

「二人は優しいね。だけどね、僕本当は二人と一番遊びたかったんだよ」

 

次の日から、ヒチイは寝込んでしまいました。