レッタとリッタ   2友達との出会い

 

 「あそこにいるの、いつかママナが話してくれた猫という生き物じゃない?」

 

リッタが声を潜めてレッタに言いました。

レッタは葉の影に隠れてリッタの指差す方を見つめました。

 

「確かに、絵と模様は違うけど、三角の耳に、長い尻尾がある」

 

それからレッタは人差し指をたて、1、2、3、4、5と呟いてから自分の近くにある大きな葉の茎を5等分にしました。そのうちの一本をとってリッタが手を動かして言いました。

 

「この縦がこの大きさだと横はこのくらいかな。もう大人だね」 

 

猫の隣にある草を目安にして大きさを図っていたのです。レッタは頷いて、また猫の方を見ました。

 

「だけど、凄く心細そうだ」

「子供がはぐれちゃったのかな」 

 

二人は気まずそうに顔を見合わせました。 猫は鋭い爪で獲物を襲うと話に聞きましたので、安易に近付く事が出来ないのです。

けれど二人の目の前にいるそれは、襲う姿が想像出来ないほどに、か弱い存在に思えました。 

しばらくしてレッタがリッタの瞳を見てこう言いました。

 

「少しずつ近付いてみよう。その代わり、少しでも動こうとしたらすぐ走るんだ」

 

レッタは試しに草の影から少しだけ姿を見せるように出ました。

猫はそれに気がつきません。

レッタの後ろを回り、リッタが草から離れました。

けれど猫は気がつきません。

 

「僕達よりも小さな生き物なのに、あの子にとって僕達の存在は取るに足らないものなんだね」

 

リッタがレッタの裾を握りながら辺りを見回している猫を見て言いました。

 

「取るに足らない存在でも、空気を振るわせる事が出来るじゃないか」

 

レッタはそう言って、握っていた葉を揺らし、がざがざと音を立てました。

レッタが揺らした葉が、隣の葉に、その葉がまた隣にと、二人の周りの葉がさざなみのようにちいさな音を立てました。その音は猫の耳に届いたようです。猫は少し耳を震わせた後に二人の方を向きました。

 

二人はしばらく様子を見ます。猫は何もせずに、ただ呆然と二人を見るだけです。

レッタが真剣に猫を見つめている間、リッタはというと、猫を見つめているふりをして実はレッタの様子を盗み見していました。猫の動作に集中している事を確認するや否や、音を立てずに傍を離れ、心の中で1、2、3と呟き、猫の方へ駆け出しました。

 

レッタは驚いて少しの間、動けなくなりました。けれど、その少しの間が追いつけない距離となって現れてきます。リッタはレッタを振り返ってこう言いました。

 

「目を見たら分かったんだ。きっと大丈夫」

 

レッタはリッタを止めようと走りました。レッタはリッタが猫に近付く事よりも、何か別の事で心配をしていました。

リッタが草をすり抜ける度、レッタがそれをすり抜ける度に、すずらんの形をした花がちりちりと鳴ります。

この騒ぎはほんの些細な騒ぎに過ぎませんが、猫の興味を引くのには十分でした。

猫はまんまるとした目を二人に向け、とうとう近付いてきました。

 

「リッタ!そこで止まるんだ!」

 

レッタが駆けながら言います。リッタは大人しくいうことを聞くと、しゃがんで猫を待ちました。猫も足早にリッタのもとへ来ます。レッタはリッタが止まった事に安心して駆けるのを止めました。猫の様子も穏やかそうに見えたので気が緩んだのです。

 

「ほら、もうちょっと」

 

リッタが猫に話し掛けます。

リッタの手が猫に触れようとしたその時でした。

話で聞いていた猫の大きさを遥かに超えた猫が木の陰からぬっと姿を現したのです。その猫はしゃがんでいるリッタを見下ろす事の出来る大きさでした。リッタはさすがに危険を感じ取ったのでしょう。小さな猫を抱き上げ、駆け出しました。

 

「リッタ!」

 

レッタは駆けて来るリッタの手を引いて、大きな猫と距離を置こうとしました。大きな猫はゆっくりと追いかけてきます。

 

「どうしよう、とっさにこの子連れてきちゃったよ」

 

片腕で抱いている猫を落とさないように気をつけ、リッタは手を引かれながらレッタに言いました。

 

「あの猫はきっとその子が目的なんだ。あと少し距離を置いたらその子を離してあげよう」

 

レッタとリッタは草を掻き分けて走り、大きな猫が通れないような木々の間を探しました。大きな猫は走ろうともせずゆっくりとこちらへ向かってきます。逃げられる道を見つけた二人はその入り口で止まり、リッタは急いで抱いていた猫を離してやりました。ゆっくりと足を止める大きな猫を確認し、レッタとリッタは木々の合間を縫うように駆けていきました。

 

「あの猫大きかったね。僕達の肩まで背丈があったね。僕達まるでママナが話してたネズミみたいだ」

 

息を切らしながらリッタが嬉しそうに言いました。

 

「それにあの子。全身がタンポポの綿毛みたいにフワフワしてて、凄く気持ち良かったなぁ」

 

そう言うと同時にリッタはごほごほと咳き込んでしまいました。レッタは足を止め、慣れた手つきでリッタの背中を撫ででやりました。

 

「走り過ぎたんだ。少し休もう」

 

そう言うとレッタはリッタを木の根に寄り掛かるように座らせ、少し待つようにと言いつけた後、草の中に消えてしまいました。

リッタはレッタの後姿を見て少し申し訳なく思い、傍にあるすずらんの形をした花をチリチリと揺らして見送りました。

すると逆方向からがさりと音が鳴りました。

リッタはその方向をじっと見つめてそこにいる何かが出てくるのを待ちました。

 

 

 

「森の水はこんなに冷たいものなんだ」

じめじめとした森をレッタが歩いていきます。霧はレッタの髪を濡らし、春であることを忘れさせる程冷たくさせました。

レッタ達は水に濡れる事が嫌いなわけではありません。ですが、ミグラントは他の生き物に比べ、少しだけ寒さに弱いのです。レッタは、リッタの不安を拭う為にこの森が素敵だと話しましたが、一人きりになるとまるでクジラに飲み込まれるような不安に襲われます。この水滴は完全に防げるものではありません。この冷たい霧が長く続けば風邪を引いてしまいます。あの大きな猫も、ミグラントを食べる生き物だったらと考えてしまうのです。

考えれば考えるほど、周りは敵ばかりのような気がしてきます。そんな不安を追い出すようにレッタは首を横に振りました。

 

今はリッタに飲ませる水を探す事が先です。しかし、レッタは探せども木や草ばかりの風景に焦りを感じ、葉に隠れた空を仰ぎながらこう呟きました。

 

「ここに湖が無かったら、僕達はどうなるんだろう」

 

レッタはとりあえず、水の溜まっている葉を探してまた歩き出しました。

 

 

 

綺麗な音が透き通って森に染み込んでいきます。

レッタはその音を珍しいとも思わず、ゆっくりと森を歩きます。レッタの中にあった不安はその音にすくいあげられ、いつの間にか姿を見せなくなりました。

 

「お帰り、レッタ」

 

リッタは丸い小さな笛を口から離し、レッタに笑いかけました。

大人しく待っていたからでしょう。顔色は良くなり、いつものリッタに戻っているようでした。レッタは水の入った大きな葉を両手で持ちながら、リッタの膝の上にあるまあるい物を見て言いました。

 

「それは何?」

 

聞かれるとリッタは少し困った顔をして笑いました。

 

「さっきの子、僕達のあとついて来ちゃったんだ」

 

リッタが優しく撫でると、まるい物から尻尾が出てきて気持ち良さそうに揺れました。

レッタはすずらんの形をした花を一つ摘んでコップ代わりにしました。花をリッタに渡すとレッタは水の入った葉を抱えながらリッタの前に座り、まるくなって眠る猫の様子をうかがいました。

 

「花をチリチリ鳴らしていたら興味津々にこっちを見てたから、音が好きなのかと思って笛を吹いたんだ。そしたら膝の上でまるくなって寝始めちゃってさ」

 

レッタは猫を優しく撫でてみました。猫は喉をごろごろと鳴らし、手に擦り寄るように体を少しだけ動かしました。猫の毛は不思議と表面だけしか濡れて無かったので撫でるとふわふわして、とても暖かく感じました。

リッタを冷たさから守ってくれていたのだとレッタは思い、感謝の気持ちを込めて優しく優しく撫でてあげました。

 

「だけど、この子がここにいるとなると、あの大きな猫はずっと探し回っているはずだ」

「でも、あの猫に比べてこの子は随分と小さいよね」

 

二人はリッタの膝で眠っている猫を見て黙ってしまいました。リッタは、もしかしたらこの小さな猫も大きな猫から逃げていたのではないかと考えたのです。レッタはリッタの言いたい事を理解し、大きな猫の前に帰す事が良い事なのかどうか悩み始めてしまいました。

 

「この子が話せたらいいのに」

 

猫はリッタの言葉にふと顔を上げました。レッタはその頭を撫でてこう言いました。

 

「違うよ。僕達がこの子の言葉を理解出来たらいいのに、だ」

 

そうは言っても、この事態がどうにかなるわけではありません。猫は人の言葉を話せませんし、二人は猫の言葉を知る術がありません。それどころか、小さな猫の鳴き声すら、まだ知りませんでした。

 

「猫は‘にゃー’と鳴くとママナが話してたけど、この子はにゃーとも鳴かないね」

「猫も会話する時以外は鳴かないのかもしれないね」

 

リッタは笛を服の下にしまいレッタからもらった水を飲み干すと、膝で眠っている猫を抱き上げました。

 

「どちらにしてもここでのんびりは出来ないからね。ごめんね」

 

レッタはリッタの代わりに猫を抱こうか迷いましたが、猫にとってもリッタにとっても今の状態が一番だと思いましたので、そのままリッタの足取りに合わせて歩いていきました。

二人は一通り森の中を歩いた後、自分達の家だと決めた大きな葉の下に戻ってきました。けれど、二人の表情はほっとしたものではなく、何かに困り果てていました。二人はある探し物をしていたのですが、どうしてもそれが見つからないのです。その途中、大きな猫と遭遇する事も無く、珍しい物も何もありませんでした。

リッタは猫を膝に乗せて座りながら細い草を束ねて編みこみ、レッタはまわりに生えている背の高い葉を編み込んでいます。大きな葉を屋根にして家を作るのです。これは、これから先水滴と寒さに耐えられるように、そして危険な生き物に見つからないようにする為の作業でした。

 

「森ってこんなに広いんだね。木が沢山あるから、狭く感じていたよ」

 

 リッタが言います。

 

「目に見えるものが全てじゃないって事だね。それだけまだ楽しみが残っているという事だよ。楽しいね、森は」

 

 レッタが草を編みながらそう言いました。森を実際に歩いてみて、草木に触れると、大変だった森が少しだけすきになるものなのです。新しい何かに触れる事も、楽しい事ですからね。

森の事を考え目を細めていたリッタですが、しばらくしてからまた不安が募り、ふうと溜息をつきました。

 

「目に見えるものが全てではないけど、僕達には見える場所しか分からない。森はあとどの位あるんだろう」

 

 レッタは草を編みながら、こう言いました。

 

「もう少しだったらいいね。森が把握出来るし、全てを知った分怖くなくなる」

 

レッタの言葉でもリッタの不安を消すことが出来ません。

 

「だけどその中に探し物が無いかもしれない」

 

 するとレッタが頬を緩めてこう言いました。

 

「大きくてもいいね。可能性が多い分、期待も夢も膨らむ」

「だけどまわり切れなくなる」

 

言葉を発する度に不安が増すリッタの様子がおかしくてレッタはクスリと笑いました。

 

「僕達が出来るのは知る事だけだよ」

 

いくら不安になっても、いくら期待しても、そこにある事実は姿を変えません。二人が今出来る事は、ただ歩いて探し物を探す事だけなのです。けれど、考え事をするのはとても面白い事だとリッタとレッタは知っています。今は、不安にのまれないように、頭を休めるだけです。

 

二人は、目で見た森と話の中の森を比べ、その違いに驚いたり同じ事に感動したりしながら、頭の中を楽しい事で一杯にしました。すると草を編む手も軽くなり、あっという間に二人の家が完成していました。入り口の草だけそのままなので、レッタは草を横に避けて家の中に入りました。

 

「夜は真っ暗になってしまうね」

 

レッタが言います。するとリッタは「暗くなったら眠ればいいんだよ」と笑いながら言いました。

 

その時です。外から声がしました。鳥や虫の鳴き声ではありません。レッタとリッタが理解出来る言葉で何かを探す声がしました。その声にリッタの膝で眠っていた猫が反応し、耳をぴんと立て、起き上がりました。

声はだんだんと近付き、二人と同じくらいの男の子だと分かるほどはっきりと聞こえてきました。

家の前まで来ると、声も足音もしなくなりました。

 

「アル。お昼までには戻ってくる約束。出てきなよ」

 

声は少し不満げです。その言葉を理解したように、小さな猫は草の入り口に潜り込んで外へ出て行きました。

レッタとリッタは顔を見合わせました。

 

「あの子アルって名前なのかな。僕達の言葉理解してたんだね」

「僕は僕達と同じ言葉を話す人がこの森にいる事に驚いたよ」

 

二人はこの森の話を聞ける又と無いチャンスだと思い、入り口の草を横に避けながら外に出ました。けれど、声の主らしき人の姿はそこにありませんでした。小さな猫の姿も見当たりません。二人はおかしいと思い辺りを見渡してみると、小さな猫の小さな後姿を見つけました。そしてその前には大きな猫がゆっくりと歩いて行くのが見えました。リッタがとっさにすずらんの形をした花をチリチリと鳴らすと、猫達は耳を立てて振り向きました。

 

「あ、あの、またおいでね」

 

リッタは一生懸命言葉にしました。そして大きな猫に向かって「誤解してごめんね」と頭を下げました。すると大きな猫はレッタとリッタをじっと見つめました。

 

「僕達今からおいしい木の実を取りに行くんだ。一緒に行かない?」

 

そう声が聞こえてきました。レッタの声でもリッタの声でもありません。ですが、周りを見渡しても誰もいません。いるのは目の前にいる大きな猫と小さな猫だけです。リッタはどこにいるか分からない声の主に向かってこう叫びました。

 

「行きたい!一緒に行きたい!」

「じゃあ僕達のところまで来て」

 

声の主はこう言います。リッタは焦りながら周りを見渡しました。

 

「でもどこにいるのかが分からないんだ」

 

必死に声の主を探すリッタの肩をレッタが二回軽く叩き、大きな猫を指差しました。

 

 

大きな猫は不思議そうな顔をして「もしかして目が見えないのかい?」と心配そうに寄ってきました。